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苦言か堪えるか

以前勤務していた会社で「気付いていることを相手に言わないことは愛情が欠如している」と厳しく言われた。
確かに子供の頃も、友人が間違えていたり悪いことしていたりしたら、お互いが嫌な気分になるとしても、きちんと意見を伝え正すことが大切であり友情であると言われ納得をしたものだ。
高校生の頃に言いにくい欠点などを指摘してくれる友人はありがたく信頼が増した経験がある。
苦言を呈すという言葉も古来よりある。

山本五十六元帥は言いたいことを堪えることが男の修行と言っておられる。
この相反することに対し私はどちらが正しいのだろうと迷うことがある。
臨機応変に対応すればよいのだろうが、それではブレてしまい「やはりきちんと伝えるべきであった」とか「言わない方がよかったのでは」と思う事が多々あった。

先日、論理破綻しているにも関わらず自分だけが正しいと疑わず攻撃的に主張をする「おばさん」に出会ってしまった。
論破する余地は大いにあるが、相手には他者の言葉を理解しようとする気持ちなど微塵も感じられず、不毛な議論になることは簡単に予測できた。
そもそもその姿勢の醜さに呆れ腹が立った。
しかし同時にそれは私が相手の為と称し自分の心象を伝えることすなわち苦言を呈していると思っていることは、その内容が論理的に整合性があっても、相手を責めるだけの、それはまるで「おばさん」の理不尽な我儘な不満の排泄と大差がないのではないかと思った。

だから私は明らかに相手にとって有益であると強く確信できる事以外は、自分が苦言と思っている心象意見を伝えることはやめようと思う。
仕事柄的にも山本五十六元帥の教えに従う事が筋であろう。
元帥は修行と言っておられるが、その方がきっと楽な人生なのではと思う。

例えば大きな組織に対しクレームを申し上げても、電話を受けたオペレーターが嫌な思いをするだけで、自分の意見が他組織に変化を与えられると考えることは大きな驕りであると思う。小さなことや個人の事でも然り。
きっとありがちなクレームは随所で「おばさん」達が様々沢山伝えてくれている事だろう。
私が偉そうにその責務を負う必要はない。
ましてや怒りに任せて不平不満を排泄するような「おばさん」のような人間ではありたくない。

昔読んだ反体制的な本に「男のおばさん」という言葉があった。
私が言う「おばさん」とは、中年女性を指して社会悪だと言っている訳ではない。
いわゆる「おばさん」と言われるような人に問題がある訳で、性別や年齢は関係なく「おばさん」は存在している。
「おばさん」とは「オタク」のように人をカテゴライズする言葉なのだ。
「おばさん」な中年女性は今風に言うと「リアオバ」と言ったところか。
「リアオバ」は昔の「つっぱり」のようにわかりやすいが「隠れオバ」は厄介である。

ここが男の修行処であろう。
そう思えばこれも愉快。HPが上昇してしまいそうである。


楽しく優しく穏やかに生きていきたいと思う。

こんな事を思う日が来るとは思わなかった。
長く生き過ぎたのか。

宮部先生の影響かもしれません。

鑑定団による弊害

仕事柄TV番組「なんでも鑑定団」をよく視聴しています。
すると多くの鑑定依頼者が「粘って半額で買いました」というようなエピソードを披露します。
そのためか当社にも値引きを要求したり買取査定額を交渉して引き上げようとする方がいます。

先日こんな電話が掛かってきました。
「これ何ぼになるんじゃ」私「どのお品物でしょうか?」
「だからなんぼまけるんかと聞いとるんじゃ」私「当社ではお値引きは致しておりません」
「なんじゃ負けんのかい。ならいらんわ」

他にも踏み倒しや理解に苦しむ因縁などもあります。
それら名を名乗らない者や偽名を使う者が武士とは思えませんので「仁」により許そうと思いますが、中には武士を気取り批判する者もあり、ならばそれだけの覚悟と道徳を持ち武士道を体現して頂けなければと思います。
「誠」に反し「礼」を欠く者がどうしなければならないのかは武士であればご存じの事と思います。

私は武士の心を持った人にしか販売できないと言っている訳ではありません。
戦争に深い理解のある人にしか販売できないと言っている訳ではありません。
むしろ上記とは逆の方々に広く実物を手に取り感じて頂く事で理解や考察を深めて頂きたいと思っています。

私は戦争を賛美しているのではありません。
戦争の記憶を未来へ伝えることで二度と戦争が起こらないようにと願っています。

当社の品物の多くは武士として生きようとした方々や武士として生きざるを得なかった方々の魂と生き様を未来へ伝えるものです。
「永遠の0」も失われゆく戦争の記憶を未来へ繋ぐことが大きなテーマでした。
戦争を体験された方は間もなく誰も居なくなってしまいます。
現在多くの人が様々な方法で戦争の事実を未来へ伝える努力をしています。

国の為に命を懸けた方々の品物に対し「礼」をもって接して頂きたいと思います。
なぜこれらの遺品に対しそれほどにまで利己的になれるのでしょうか。


中学校の合唱に思うこと

長女の中学校で合唱大会がありました。
長女のクラスは最優秀賞を受賞し、大会が終わった今も機嫌よく合唱曲を口ずさんでいます。
「平和の~」という曲を歌ったそうです。

長女の歌を聴いていると歌詞の平和への理解に違和感を抱きました。
ありがちと言えばありがちですが「心を一つに~」とか「愚かな権力が~」とか「手をつなごう」とか「フェンスを越えて~」とか。
それらによって奇跡が起こり平和がもたらされるという内容のようだ。

作詞者が愚鈍でただ耳触りの良い言葉を羅列しただけなのなら仕方がないかもしれませんが、知識見識のある人間であるのであれば反社会的な悪意があるとしか思えません。

だってみんなが一つになれば地球が平和になるというのは明らかに共産主義思想ですよね。
「君が変われば~」って日本を社会主義にしようと呼びかけている。

世界を一つの思想に統一することは現実的ではないし、大切なのは相違点を尊重することで受容し相乗効果を生み出すことだ。
民族、宗教、信仰、文化、歴史などが異なるみんながひとつになろうとし続けたら戦争や紛争は無くならず増える一方だろう。
ひとつになることが平和の方法であると子供に教え、相違点を尊重し受け入れることの重要性を教えなければいじめの問題を増加し続ける事だろう。

個性教育と言っているにも関わらず、この個性を否定する曲を合唱させてその後も連日生徒が口ずさんでいる現実。

合唱大会は中学校での行事ですから当然教育の一環なのでしょう。
だとしたらこのような曲を使用することは大きな問題があると私は思います。

以前小学校が左翼教育だと書きましたが、この合唱曲を中学校が選択しているのであれば共産主義教育をしていると言わざるを得ないだろう。

極端に言えば反社会的な人間を製造してるとも言える。
協調性は同化によって生まれるのではなく、他者の自分と異なる個性を認め尊重することによって生まれるのだから。

誤ったもしくは現実離れした平和観が戦争を起こし続けていることは、戦争の歴史や現状と、聖書に起因する宗教を代表とする唯一神を崇拝する宗教との関係を見れば一目瞭然でしょう。

従軍慰安婦問題の催事

市の広報に従軍慰安婦問題に関するパネル展があるというので見学に行ってみた。
市の関連施設が会場なのでどうせくだらない左寄りのものなのだろうと思っていた。
まあそんな中でも有益な資料の展示もあるのではと期待し会場入りすると、選挙演説のような勢いで講演が行われており驚いた。
内容は日本政府や政党に対する批判である。
席は30程度用意されていたがほぼ満席の状態であり聴衆は熱心に聞き入っていた。
マイクが使用されており着席しなくても会場中に声が響いていたので、私は壁面のパネル展示を端から見ていた。

その内容は従軍慰安婦問題が捏造であることの証拠や経緯、韓国や中国の陰謀プロパガンダであるという説、日本政府の失策等の内容が写真を多用しわかりやすく展示されていた。

反左翼的な姿勢は私と近いものである。しかし違和感を強く感じた。

それは従軍慰安婦問題を外交の手段として使う反日諸国に対し非常に攻撃的であるからだ。
展示内容は論理的で結論は断定的である。
すなわち日本は正しいのに反日諸国はとんでもない外交姿勢で挑発しているという内容を反論できないように主張しているのだ。

私が以前海洋環境保護活動をしていた時に師から言われたことは「俺たちは反対活動はしない」。
当時環境保護活動はまだ歴史が浅くデモなどの反対活動が主流だった。
しかし師は対立から改善は生まれないと考えおり私は共感した。

強く対立しようとするパネル展は、私にとっては挑発しているとする反日諸国と大差がないように感じた。
むしろ挑発行為に対する思う壺なのではないか。
双方が正しいと主張する口論のようで出口が見えない。

私は反日諸国が主張する従軍慰安婦問題が正しいとは思わないし、パネル展の内容が稚拙だとか誤りがあるとは思わない。

しかしこの問題が対立によって解決できるのか疑問を感じるとともに、見学者が自らできる行動が具体的に提案されていないように感じたことを残念に思った。
展示内容の知識見識が充実していただけに、対立以外の具体的な対策立案の可能性が期待される。
この展示で感銘を受けた人に主催者側はどのような行動をしてもらいたいと考えているのだろうか。
寄付や署名以外のできることを知りたいと思った。

機関紙を頂いたが約半分の紙面は協賛の個人名や団体名が書かれていた。
多くの憂国の団体や諸兄がいらっしゃることにも驚いた。

様々な驚きと自分のあり方を考える機会を得た一日であった。
私は影響を与えることが困難な事に関与するよりも、自分にできることに集中したいと思う。

この文はパネル展の主催者や関係団体を批判するものではなく個人的な感想である。

8月15日

民放のテレビやラジオで女子アナが終戦記念日と言っている。
無知で何も疑問を感じずアナウンスしているのか。
何者かが作為的に原稿を書いているのか。
いずれにしても腹が立つ。

今年の靖国はいつもに増して政治的すぎる。
宗教的な外交干渉は欧米や中東での戦争の火種と同じだ。
誰もかれも和平のために散華した英霊に無礼である。
政治のために靖国にやってきた方々は何かを感じたのだろうか?

日本も中国も韓国も皆どうかしている。

私の家族は気を使って今日の予定を空白にしていてくれたが、私は靖国へ行く気になれなかった。
私は靖国を全面的に支持しているわけではないが、英霊を外交(戦争)の切り札として使用して欲しくない。
英霊の御苦労や努力そして命を踏みにじるような外交は断じて許せない。

英霊は本当に靖国にいるのか。
靖国は英霊を敬っているのか。
私は靖国へ行くたびに残念な思いと疑問を抱く。

なんか今年の騒動にはしらけてしまった。
英霊はいつも見守ってくれている。
靖国へ行かなくてもいつも感じている。

専門家の判断を安易に批判するつもりはない。
ただ今年は強い違和感を持った。
誰にも共感できない。

寂しいけど記念日じゃないのだから別に構わないだろう。

歴史人に品物が紹介されました

現在発売中の歴史人別冊日露戦争の真実の通販コーナーにてに当店の品物が紹介されました。
また現在開催中の歴史人バックナンバーフェアにおいても当店の飛行服や勲章類が販売されています。
宜しかったらご覧になってみて下さい。


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当店の商品がモデルアート誌に紹介されました

本日7月26日発売のモデルアート誌に当店の零式雷撃照準器二型が紹介されました。
次号に詳しい記事が掲載される予定です。
もしよろしかったらご覧になってみて下さい。
文は私ではなく佐藤邦彦氏の連載の中での紹介となっています。

http://someyagunsoh.web.fc2.com/syouzyunnki.html

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護国の鬼

国敗れて山河なし
生きてかひなき命なら
死して護国の鬼たらむ

御国の御役にも立たず、何の手柄も立てず申し訳ありません。
死んで護国の鬼となります。
私は生きて降伏することはできません。
私は生き長らえていたら必ず何か策動などして
恐れ乍ら和平の大詔に背き奉り君には不忠、
親には不孝と相成る事、目に見えるやうであります。

戦後自ら鬼にならんと自決した人々がいます。
記録のある僅かな人は英霊と共に靖国に祭られています。
しかし誰にも知られず鬼となって日本を守っている方々がたくさんいらっしゃいます。

武人でない人には戦後に自決する行為は愚かに映る事でしょう。
ノイローゼ位にしか思っていないのでしょう。

どうか未来の和平のために命を捨てて鬼になる選択しかなかった人たちの思いを考えて欲しい。
戦死した仲間達は神であるにもかかわらず、鬼として誰にも知られず敬われず日本を守り続けている魂を。
日本人として武人としての死にざまから、鬼の生きざまを。

おもちゃが気に入らずママが返品

最近古くて着用できないと言ったクレームや返品が多い。
そりゃそうさ。100年前後前の歴史資料を販売しているのだから。
どうも当店をコスプレ用品屋かおもちゃ屋のように思っているようだ。
さらにひどいのは男性名で購入された商品に対しおばさんがクレームの電話を掛けてくることだ。
ネットで買ったおもちゃが気に入らずママに返品を頼むのだろう。

「納豆買ったら豆が腐ってたわよ」みたいなクレームには返す言葉が浮かばない。
英霊の遺品で戦争ごっこをしてはいけないと私は思います。
防毒面を装着して今はやりの富士山に登ろうと思ったのにゴムが硬くて覆れないから、代金全額はおろか返送料や振込手数料まで支払えという輩もいます。

洒落や遊びのために護国の血の結晶を使い捨てないでください。
それは田舎の老人たちが農業で国債を積み立て、女学生が勤労奉仕で作成し、水枯れ弾尽きても突撃し激烈な戦死を遂げた、大きな輝ける未来の可能性を秘めた若い兵士の遺品かもしれません。
そうでなくとも、どれも同様に日本人が未来の日本のために血を絞る思いで作ったものです。

これも日本軍は糞集団と教育する左翼教師の成果なのでしょう。
そう考えるととんでもない御客様も哀れな被害者なのかもしれません。
これが敗戦なのでしょう。

昨日7月7日はサイパン島の日本軍玉砕の日でした。
私は喪服を着てビクトリーショーへサイパンで戦死した大叔父の写真を持って行きました。
大叔父はどう思ったのだろうと考えた。

やさしい人だったと言われる海軍陸戦隊の大叔父。
きっと笑顔で「別に良いじゃないか」と私に話しかけるような気がした。

価値観はそれぞれだから着用禁止と言うつもりはない。
ただ大切にして欲しいだけ。
そしてママもおぼっちゃまももっと日本人らしくあって欲しい。

大叔父様、私はちょっと神経質でしょうか。

小学生平和ポスターコンテストにおける無視できない問題

下のポスターは長女が小学生の時に茅ケ崎市「平和について」ポスターコンテストへ応募するために図工の時間に描いたものだ。

結果は落選だったのだが、後からこの作品は選考にかけられなかったことが判明した。
担任の左翼教師が独断で出品を取りやめ落選したと嘘の報告をしていたのだ。

以前書いたどうしようもない歴史授業をしている教師の仕業だ。
この男は今担任を持たず立派な役職に付いておりもうすぐ現場を離れ教頭になって戻ってくるようだ。

このような左翼教師が出世する公立義務教育現場をどう考えるか。

いつも一緒に絵を描いていた長女の親友はこのコンテストで最高賞の市長賞を受賞し広島の平和式典へ招待されていた。
長女の無念たるや想像に余りある。

担任の後出しの選考除外理由は「この旗があるとだめなんだよ」だって。
これが教育現場で出世頭のエースのコメントだ。
この男が今後の教育を担う人材の育成を担当する。

今も左翼主義や日教組しか出世できないのだろうか?
もう少しましになっているのではと思っていた。

残念極まりない。

長女の反戦ポスターは当店の入り口ドアに掲示してある。
こんなことしかできない無力な父をどうか許してほしい。


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戦後教育と国旗問題

自立にとって重要な要因の一つに『自信』や『自尊感情』がある。

モチベーションが向上しにくい生徒はこの自信や自尊感情が乏しい場合が多い。
組織マネジメント論的に考えるとこれには帰属意識の欠乏が一因と考えられており、社員研修では自社へのロイヤリティを向上させる施策が生産性向上へ成果を上げている。

帰属意識とは強く組織と結びつくことであるから自立と相反していると感じる人もいるかもしれない。
しかし自分が素晴らしい集団の一員であると自覚できるとそれは自信となり誇りとなり、自立の為の勇気を与える大きな力となるのだ。

しかし現代の児童・生徒は帰属意識が希薄である。
学校でクラスの一員であることを嫌いクラス対抗行事は盛り上がらない。
自分の学校に誇りを持つ生徒は少なく校章を外したり異なる制服を着たり、そして早く卒業したがる。
これは子どもに限らず大人も出身地を隠したり更には日本人であることを恥じるような言動をする者も少なくない。
この帰属意識の危機的な希薄さは政府において問題になるほどであり、小中学校における国旗掲揚の義務化を強行するほどの深刻さである。
そして自国の国旗を掲揚することに多くの教師が反対するような異常事態が発生している。

子どもたちの親の世代は戦後生まれで、明治から敗戦までの日本は世界屈指の糞の様な国であったと教育されている。
そしてアメリカ様に原爆ぶちかまされたおかげで目が覚めてアメリカ様の民主主義のおかげで幸せになる事ができましたと信じている。
子どもたちを指導する教師もこのような左翼教育の信者であるのだ。
賢明な教師であっても日本とは世界最低の軍国主義の象徴であると確信しており、国旗掲揚に反対する事、国歌斉唱を拒否する事こそ子どもたちを二度と戦場へ送り込まない大義の行動と信じている。

教師は自分達を左翼主義者ではないと言うだろう。
私もそう思う。私も自身を右翼主義思想家とは思っていないからだ。
しかし反右翼主義を正義と考えている事は間違いないだろう。
結果、アメリカが占領時に日本の反撃を警戒し日本の伝統文化を徹底否定した教育プログラムが未だに生き続けている。
日本民族の誇りはゴミとして捨てられたままそれを善とした教育が行われ続けているのだ。
子どもたちは学校の教育内容に疑問や違和感を抱いて親に尋ねてもその通りだと言うので信じざるを得ない状況にある。
自分が糞国の国民では当然自信など育つ訳がない。

先日小学校の歴史の授業を参観した。
明治の学校教育について優れていたが富国強兵を目的としているから現代とは大きく違うと説明していた。
その後生徒たちはディスカッションをしたのだが、そのような授業形態は社会人としての即戦力化を目指している文部科学省の方針であると参観者へ説明していた。

この矛盾になぜ気付かないのだろうか。
当時は日本だけが軍国主義だったわけではなく欧米列強が軍国主義だったから日本は独立を守るため同様の外交手段を選択したのだ。
これが維新であり文明開化である。
当時西欧化を進めなかった中国の没落をみれば当時の日本の選択を完全に間違っていたとは言えないだろう。
そして現在は経済至上主義の時代だから優秀なビジネスマンを育成することは国際競争力を高める国家戦略であり、これは軍国主義下で強い兵士を育成することと同一ではないか。

教師はビジネスの現場を全くわかっていない。
教師が多忙で疲弊しているという報道があるが、教育現場と東証1部上場企業の双方の就業経験があり学校の経営指導をしていた私に言わせれば、経済戦争の前線にいる企業戦士と比べ学校教師は半分も働いていない。
民間企業は国際経済に影響が無いような企業においても過労死や自殺者が続出する。
精神や内臓の疾患など当たり前だ。
将来子どもたちが出てゆく社会は教師が考え想像するような甘いものではない。
もし日本の企業が教師の考えているようなものであったなら、近い将来に日本はアメリカの子分でいることすらできず、中国に占領され属国となるだろう。
現代の外交は政府や外務省だけが行っているわけではなく、企業が経済で戦っているのだ。
そして多くの大手日本企業が国際競争に破れ倒産の危機に瀕している。

国旗や国歌を拒絶する教師は、生徒児童から自信や自立する力を奪い熾烈な経済社会において自殺する若者を大量生産しているということを自覚するべきである。
戦場の最前線へ田舎百姓の息子を何の訓練も無しに装備もなく丸裸で捨て駒として送り込むようなことをしているのだ。
子供に教育で育てるべきものは、幻想のビジネススキルではなく、民族の誇りとそこから生まれる揺るぎない自信なのだ。

時間の不足を理由に明治以降の歴史の授業を行わない小中学校の教師を私はたくさん知っている。
多くの進学塾で学校がないがしろにしている現代史の特別補修授業を行っている。
学校の歴史の授業は月曜日である場合が多い。
祝日や学校行事の代休を理由に授業の遅れを正当化している。
カレンダーを読めない教師が解雇されないとは如何なることか?
休日を理由に納期に間に合わないビジネスマンがいると思うのか?
納期に間に合わない仕事を何年も放置し続ける社会人が許される程に日本は文明の遅れた国なのか?

戦争から目をそむけ拒絶することが反戦ではない。
戦争を正しく理解し考察することこそが反戦教育なのだ。
国民の無知が多くの悲劇を生んできた事は歴史が証明しており、だからこそ義務教育があるのだ。

続く

陸軍三式軍服将校用について

昭和18年式制三式軍服は兵下士官用においてはサイズを6種から3種へ減らすなどの簡略化が目立ち、物資不足による改正の印象があるが、将校用においては階級章の大型化や袖章の追加など九八式よりも華美な物へと進化している。

興味深いのは、袖章にて階級を示す新たな方法は海軍の1種軍装と発想が似ており、また襟階級章も星章を中央から端へ変更したがこれは海軍の階級章と同じ方式である。

この頃海軍の新兵は4等水兵であったが陸軍の新兵が2等兵であることに合わせ2等水兵からスタートするように制度改正を行い陸軍が見ても解りやすいようにと階級章のデザインも変更された。

古くから仲が悪くて有名な陸軍と海軍であるが、総力戦に向けて双方の優れた部分は認めて受け入れ歩み寄った結果が陸軍三式将校用軍服に表れているように思えてならない。
実際に南方諸島では海軍が守備しているところへ陸軍部隊が増援され共に戦った所が多数ある。
日本が一つに団結し国難に対決した時代の証人なのではないか。

末期はなんでも物資不足でそのための改定であり何でも粗悪というパラダイムでは真実を感じることはできない。
人間も苦しい時こそその人の人格が現れるものである。
日本を知りたければ日本が苦しい時代を正しく考察することが大切であると思う。

軍装店を始めた訳③ 自信について

子どもに限らず実力があるのに本番で発揮できなかったりして成果に結び付かない人が多くいる。
前回と同じ書き出しで恐縮だが今回は結論をお伝えしたい。

実力をその通り発揮できる人、充分に発揮できない人、実力以上の成果を出せる人。
様々だがその違いは何なのか。それは今回の表題である『自信』である。
自信を持つことによって実力を十分に発揮することはおろか時には実力以上の幸運を招き入れることもあることは多くの人が経験によって知るところである。

では自信は如何にして形成されるのか。
明確な部分としては成功体験である。「これは以前出来た。だから今回も大丈夫だ」といったものだ。
逆も真であり失敗体験は自信を奪い人を臆病にする。よってこの考え方は正しいと言える。
しかし自信を育む要素が成功体験だけでは、新しい事に挑戦するために必要な自信は育むことができない事になってしまう。
ありとあらゆる挑戦的な事例に対し成功し続け自信として蓄積することは普通に考えたら不可能であるからだ。
これを若者特有と言われる根拠のない自信すなわち勘違いに依存せざるを得ないとするのはあまりにも残念と言うものである。

本当に必要な『自信』とは挑戦する自分を支えてくれる力であり、過去の成功体験から生まれる、それはやり方が良く判るから大丈夫というような詳細な説明書がもたらす安心感とは似て非なるものである。
未知の未来へ希望をもたらすものこそ自信なのだ。

日本人はよく外国人から自信のない民族と言われる。
しかし終戦までの日本人は自信に充ち溢れていたように思う。
これは敗戦の為であると人は言う。
間違いではないがこの言葉は誤解を与えている。
日本人は敗戦という失敗体験によって打ちのめされて自信を失ったわけではないからだ。
もしそうであったら焦土からの急速な復興は説明することができない。
日本人は終戦後に時間をかけて自らの自信を失ったのだ。いや奪われたと言った方が適切だろう。

その原因解決による国民の自信回復の為に私は軍装店を起業したのだ。
その詳細はまた次回へと続く。

軍装店を始めた訳② 現代教育の課題 

子どもに限らず実力があるのに本番で発揮できなかったりして成果に結び付かない人が多くいる。

教師が優れた教育を実施し充分な知識や技術を与えても生徒が成果を発揮できない場合、それはもはや教育の領域を超えていると普通の教師は考えるだろう。
与えることが教師の使命と考えるのであれば正解である。
しかしこの問題は特殊な事例ではなく広く見られる現象で無視できる問題ではない。
教育においては最高の物を与えれば最高の成果が得られるというような簡単な構図ではないのだ。
優秀な教師であってもその多くが万策尽くし成果を得られず疲弊している消耗戦に陥っている。

教育とは教え育むと書く。
与えるだけでは『教』のみで育んでいるとは言えない。

学校教師はよく努力などのプロセスを評価したがるが、大人の社会では成果が重要である。
公務員ならいざ知らず経済至上主義の現代社会において成果を創出できない社会人には価値はないのだ。
ろくなアウトプットをできない人間を地道な努力や姿勢を基に幼いころから継続的に高く評価して、推薦で高校や大学に進んだ様な人間の多くは、社会人になって自分の無力を知り耐えがたい挫折を味わうこととなる。
子どもは一人ひとり個性が違うから仕方がないと言ってしまえば、これはもはや育むことを放棄したと言わざるを得ない。
著名な大学から大きな会社へ就職した若者の多くがすぐに退職し不安定な雇用形態を経て大量の自殺者を創出することが現代日本の公教育の『育まない』成果と言っても過言ではないだろう。
これが経済至上主義社会での不適合者を淘汰することが目的であれば素晴らしい成果である。
生活保護制度が見直されて若者や高学歴者など様々な保護制限がされれば今後更に莫大な自殺者を創造することができるだろう。
しかしこれは日本の教育者の本意ではないと私は願いたい。

私は業務において成績向上の手法を標準化し商品化する使命を負っていたので、個別の問題と考えられている教育における成果創出の本質的かつ共通の課題の存在を信じ考察を続けていた。
そして私は識者の助言もあり命題の原因に対する解を得るに至ったのだった。

続く

軍装店を始めた訳① 前職について

前職は進学塾や予備校の現場にて受験学習指導を経て、コンサルティング会社にて学習効果向上プログラムの開発を主業務としていた。
そこには強力な営業部隊を擁しており、私立中学高校、予備校、進学塾、個別補習塾、幼稚園、早期幼児教育機関など様々な教育機関にて教員研修や授業プログラムの導入が行われた。それらで得られた効果測定分析を基に専門家との膨大な議論と考察を行った。

そこで得た結論は、成績向上は一般的な予想に反し教師の知識やプレゼンテーションスキル等の所謂授業スキルに依存する割合はさほど大きく、教師が生徒の成績向上に影響を与えることができる主たる要因は、生徒のモチベーションの向上であるということであった。

即ち自立し自学自習し続けることができる生徒が成績向上を果たすということだ。

そこで生徒のモチベーションを向上し自立や自学自習を促進するための手法をノウハウ化しプロクラムパッケージ化して入念な研修を行い教育現場へ導入した。
未だかつて類を見ない教育プログラムであり、品質は内外の一流企業が高額で導入する研修プログラムと同等で子供向け教育プログラムとしては驚異的なものであった。

当時コーチングやモチベーションコントロールマネジメントなど外部から他者へのモチベーションコントロールが流行し人財系コンサルティングの主流商品となっていた。我々には強力な基礎プログラムや優秀な人財があった。だから子供の教育においてもモチベーションのコントロールをプログラム化することは可能であると考えていた。

結果ある一定の成果は創出したが、しかしそれは決して商品として満足できるものではなかった。つまり同じ教師が担当しても生徒によって成果がまちまちであった。これは教師のテクニカルなアプローチでは限界があることを示していると考えられる。
仕事としては顧客の期待を満足させる成果を創出できなければ商品の品質が不十分ということだ。コンサルティング商品として生徒の成績が必ず向上する手法を教師向けに開発し教育機関へ販売するビジネスプランは破綻の兆しを見せていた。

会社の方向性の問題を指摘したが、すでに開発し販売したプログラムを修正、変更することは億単位の赤字と顧客の信用喪失を生むことを意味し、財政的な余力を失っていた我々に選択の余地はなかった。社と不整合を生じた私は中心である開発部門のマネージャーから教育現場の支援部門へ移動となった。現場を徹底支援することでプログラムの欠点を補完し成果を創出しようとする対処療法的な戦略に動員されたのだ。
これは左遷であったのかもしれないが、敗戦を確信していても講和の為に特攻へ行く学鷲のようで、未来に希望が持てなくても、参謀から前線へ赴く私のモチベーションは低くはなかった。

私は日々様々な教育現場を訪ね意見を聞き指導を行う中で、教育の本質的問題について個人的に考察し続けていた。
そしてやがて軍装店起業へ繋がる思想へと至るのであった。

続く

ミリドル

先日のビクトリーショーにてミリドルなる肩書きの人と会った。ミリタリーアイドルの略らしい。
今までの私が考えもしなかった営業活動を熱心に展開していた。

私は以前ろくに歌も歌えず演技もできない男性アイドルを見て、外見だけでちやほやされて多くの富を得る姿を羨ましく思っていた。
生まれ変わったら何になりたいかと問われると迷わずアイドルと答えていたものだ。

最近はアイドルも多人数ユニットが主で生き残りの厳しさが良く伝えられる。
営業戦略的なメリットは理解できるがパーツ化した各個人は大変だろう。
僅かな確率で成功したとしても誹謗中傷が多い上に日常生活の制約も多く非常にタフな仕事であると言えるだろう。ネット文化の発展に伴いその厳しさは増す一方なのではないか。
昔の私が考えていたようなぼろい仕事ではないことは間違いないだろう。

個人で活動するミリドルのようなニッチなアイドルは更なる地道な努力が必要なのだろう。
彼女の営業活動を見ていたら他の道でも成果を出せるのではと思った。
ロジックはシンプルで明確だが未知の手法。芸能界では知られた手法なのかもしれないが、コンサルタントだった私が知らない手法だから一般企業にはまだ広く浸透していないはずだ。
一般企業でそこまで営業したらさすがに大抵の物は売れるだろうと思ったが、アイドルはそこまでしても簡単には売れないようだ。

商品の販売には営業力のほかに商品力が当然重要となるわけだが、大して魅力的ではないアイドルがいれば、なぜか今一売れない魅力的な人もいるのが事実である。
やはりアイドル産業においても販売推進する営業力は無視できないということだろう。

ミリドル氏の営業手法は革新的で注目に値する。しかし多大な労力が必要で非常に厳しいということを学んだ。
いかなる業界においても経営は厳しいということだろう。
ぼろいと思っていた業界の厳しさを垣間見て気持ちが引き締まりました。

写真はミリドル氏が撮影しブログにあったビクトリーショーでの小生。
光栄です。

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終戦記念日について

本日8月15日を終戦記念日と呼ぶ場合が多い。
しかしこれは日本が敗戦した日であるから記念日と呼ぶのは左翼的で不愉快である。
原爆の日を原爆記念日と呼ぶがごとく愚かさである。

調べてみると公式には終戦記念日という記述は少ない。
正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と言うそうである。
長いと思うのであれば「終戦の日」と呼ぶべきである。

今まで何度も靖国神社参拝をしているが、混雑が嫌で節目の日は避けてきた。
しかし今年は初めて8月15日に足を運んでみた。
きっと右翼や左翼の政治団体が激しく主張をしているのではと期待していたが、時間がやや遅かったせいかとても粛々としていた。

多くの方が喪服やそれに準ずる服装をしていたり和服を丁寧に着用していたりする姿に、私はとても感動しました。
多くの方が暑い中、長い列を作って参拝し、帰り際も鳥居毎に深く礼をしていらっしゃいました。
今でも英霊に礼を尽くす方が想像以上に多くいらっしゃることが嬉しかったです。

本日は「敗戦の日」
英霊の皆様の無念を慰め、受け取った未来へのバトンへの誓いを報告する日と私は思っています。

当家の英霊はサイパンにて玉砕の為、千鳥ヶ淵まで足を伸ばし献花を致しました。
こちらは人もまばらで少し寂しかったです。

現代の思想家

思想家というと難解な本を書いたり演説をしているような印象だろうか。
あるいは地下室で反社会的なビラを印刷している印象だろうか。

思想家とは政治家と似て非なるものである。
そして日本は戦後経済至上主義である。
即ち現代の思想家とは、その思想に基づき業を企て社会を啓蒙する企業人なのだ。
外交において国家よりも商社や多国籍企業の影響力の方が大きい場合が多々ある。
経済至上主義社会において世界を動かすには経済活動であることが最も自然である。

政治はもはや形式でしかなく社会への影響力を喪失している事は現在の日本がそれを証明している。
思想とは未来への道を示すものであり、机上の空論を詠う人間は思想家ではないのだ。

私が申し上げたいことは世の中金が全てであるということではなく、高い成果を創出している企業には優れた思想があり、未来への示唆があるということである。
そして学者や政治家など経済活動にて成果を創出していない人間の戯言は無価値である。

星に願いを

先日は七夕でした。
当家では日本の伝統行事は積極的に取り組むように努めておりますので、家族で笹の葉に短冊を吊りました。

目標を簡潔に明文化し目につくところに貼りだす事は、欧米の成功哲学でも異口同音に幅広くいわれていることです。
私が思うにはこんなものは七夕ははおろか床の間の掛け軸や書き初めなど、日本においては古より当然のごとく行われていた事であります。
ビジネス研修などへ大金を支払い、日本人として当然な文化や習慣を逆輸入し『目標の可視化』などとメモを取っている日本の産業経済の中核を担う大手企業人を見ていると、戦後の日本文化の猛烈な衰退に危機感を感じます。

目標に向かい自己努力をする私的成功においてはここまでで良いのですが、社会的な目標を達成しようとするためには周囲の協力を得る公的成功が必要です。
これは自己目標をできるだけ多くの人に知って頂くことが第一歩となります。

私の今年の短冊には『映画の仕事をする』と書きました。
まずは勉強ですので格安にてお受けさせて頂きます。
どうぞよろしくお願い致します。

ちなみにビジネス文章ではまず結論を明記することが肝要です。
最も大切な部分が文末にあるこの文章の構成は、元ビジネスマンの私としてはとても残念であると言わざるを得ません。
反省。

モチベーション

前職ではコンサルタントらしくずいぶんモチベーションについて研究し、モチベーション向上の様々な商品を企画開発した。
しかし現在改めて思うにそんなものはただの根性だろう。強いて言えば後ろ盾の帰属意識や自尊感情があればそれで十分だ。
やる気が出ないなどと言っている輩は何をしてモチベーションなど向上しないのだ。
唯一の道は根性を身に付けることだ。

最近はすっかり年を取って死が身近になり恐怖を感じなくなった。
死を恐れないことで様々な恐怖を払拭する事が出来、恐怖に惑わされることなく正しい選択を得ることができる。
哲学的だが生きようとするモチベーションを捨てることが活路なのかもしれない。

ドラマ ラッキーセブン

協力したドラマが無事放送された。良い内容だったのではと思う。

当家の大叔父も劇中の兵士同様独身で戦死した。
大叔父を想ってくれていた女性はいたのだろうか。死を悲しんだり、帰りを信じて待ってくれていた女性はいたのだろうか。
父は、誰も悲しませずに死んだから良かったんだと当時皆が言っていたと教えてくれた。
誰も悲しませたくないから敢えて結婚したり子をもうけたりしなかったんだと。

私は身勝手ながら、誰か大叔父の為に泣いてくれた女性がいて欲しい。
劇中の様に、大叔父のことをずっと覚えていてくれる人がいて欲しい。

今回のドラマを見て、きっとそういう人がいたんだろうと根拠はないが思った。
そして少し嬉しく思った。

このドラマによって英霊に思いを馳せた人がきっとたくさんいただろう。
難解な書籍や悲惨なドキュメンタリーより大きな効果があったのではないかと思う。

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武士に二言は無い

武士に二言は無いって出典はどこからなのだろう?
子供の頃流行語のように使っていたけどあまり有名な言葉ではないのかな?

当店は近代の武人に関する御品物を扱っているので御客様も武人の心に理解のある方々なのではと思っておるのですが、最近多数の注文変更や軽率な問い合わせや重箱の隅をつつくような質問など、武人とは程遠い方々の対応に多くの時間を奪われております。
ネットの課題であると思いますが、自己中心的な見識による無責任な発言は自重頂きたく存じます。
武士の二言は恥と知るが良し。

以前鏡の法則という本が流行りました。
大した内容とは思いませんが、周りがうまくいかない理由は自分に起因しており、自己変革で周りの問題も解決できるというものです。
私も自分のあり方を見直す機会と考えたく存じます。

私の軌範は戦陣訓でも武士道でもない。では何ぞや。何処に在りや。

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家系図を書く

子供の自由研究を機に家系図を作成した。
これは私がいつか着手したいと思っていたがなかなか機を得られずにいたものだ。
しかしただ当家の家系図を作成しても子供の主体性が乏しいので、子供の先祖を辿る遡り家系図を作成する事とした。
お盆を利用して当家以外の妻の家系やその父母の家系など普段墓参りをしたことのないところへ親族に案内してもらい墓誌を調べた。
遡り家系図はどんどん先祖が枝分かれをして増えてゆき、多くの人から守られているような感覚になり幸せである。
普段疎遠な親戚ともコミュニケーションがとれ、感謝されたりもして良いことばかりであった。
お勧めです。

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終戦記念日と政治

戦争とは外交手段であり、つまり政治の一部である。
よって政治に対する正しい認識がなければ、戦争に対して誤った理解しかできない。

政治はリーダーシップであると勘違いをしている人が多くいる。そしてタレントもどきの政治家が何人も生まれ偉そうな講釈を垂れ流す。このままでは未熟な連鎖から抜け出すことは難しい。

今年の終戦記念日も政治家の参拝が話題になっているが内閣閣僚は参拝を見送ったそうだ。
これに対しタレント知事は「あいつら日本人じゃない」と公言したそうだ。
この人間は明らかに政治家ではない。
政治家は個人的感情や宗教観で公的な行動を選択することはその責任から許されるはずがないのだ。

私ももちろん日本人としての誇りを持ち英霊への深い感謝を持って頂きたいと人一倍強く願っている。
しかし政治家として国家元首として外交的に政治的に靖国神社への参拝を控えることが最も有効な手段であるのならば、個人的な心情や心無い批判に耐えて参拝しないことを冷静に選択するという行動を安易に批判するべきではないと考える。

政治とはリーダーシップではなくマネジメントである。
未曾有の災害で国内が混乱する中、世界経済は破綻しようとしている。そして共産主義の圧力。
日本は経済大国と呼ばれ久しいが経済とは数字すなわち無形の記号でしかなく一夜で全て消滅するリスクを持っている。

管総理の悪口を尽きることなく言い続けた多くの人達。
退陣時期が見えてきたらずいぶん静かになりましたね。
次はどんな総理が良いのですか?どんな政治を望んでいるのですか?
不平不満だけだったら幼児にだって言える。
あれだけ偉そうに自国の元首を批判していたのだから、これからの日本について雄弁に語ってみてください。

盗人の心境や如何に

私はディズニーが大嫌いである。
別に反米思想家だからという訳ではない。

あるディズニーアニメの話。
森に一人孤独に暮らす女性を悪い魔女とであると決めつけみんなで力を合わせて崖から突き落として殺害し、それを祝って御馳走を囲みみんなで朝まで歌い踊る。
殺さなくても気に入らない奴は平面に変形するほど殴打しまくり、その様を観て腹を抱えて爆笑をする。
きっと観ている人間も同様に爆笑する場面なのだろう。
気に入らない奴は徹底的に暴力で痛めつける。その正義を達成した後は嬉しくてたまらない。
そんな欧米の勧善懲悪の思想が一貫して強く描かれている。

或る学者が言っていたが、欧米の勧善懲悪思想に対し論語の思想はジャンケン的なのだそうだ。
つまり登場人物の誰が良くて誰が悪いということはなく、例えばAさんはBさんにとって良い存在だがCさんにとっては問題がある。BさんやCさんにとっての他者も然りという三巴的な具合なのだろう。
日本には「盗人にも五分の魂」「罪を憎んで人を憎まず」とか大岡越前の名裁きなど反勧善懲悪の美談や言葉が多く残されている。これは論語が東洋思想の根底であり、すなわち日本人の思想の根幹の一つであるからであろう。
私も論語のジャンケンのような人間関係のほうが勧善懲悪よりもはるかに真実を捉えていると思う。

なぜ今回はこんな話をしているかというと、先日イベントに出店をした際に金鵄勲章の盗難に遭ったからである。
残念な思いもあるが、それより私は金鵄勲章を盗むという盗人の気持ちが理解できずにいる。

私は実物の軍装品には将兵の筆舌尽くしがたい御苦労や英霊の憂国の想いがこもっていると信じている。
御品物に優劣を付けるのは問題があるとも思うが金鵄勲章となるとその想いは格別なのではないか。
オカルト的だが自分が英霊の御加護を実感しているだけに盗人に災いがおきるのではないかと心配である。
私がきちんと店番をしておれば盗人の不幸を未然に防げたと思うと注意不十分であった自分の姿勢が悔やまれる。
当日の私が戦場の見張りであったとしたら部隊は全滅である。御霊を継承を志す者として万死に値する失態である。

盗品はすぐに売却されてしまうのかもしれない。
そう思うと、現在流通している御品物にも出所不明の物が多く存在することから、今回のような盗難やそれに準ずるような形で市場に流通した御品物もないとは言い切れないだろう。
単に品物ではなく想いを伝えたいと願う当店としては、今回の盗難を機に更に考察を深める必要があると痛感した次第である。

写真は当店の販売嬢です。彼女の目前で盗難が行われたのかも知れない。

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芸術家?

今回は軍装とは全く関係ない話題で失礼いたします。

先日国営TVを観ていたら落ち目の元アイドル歌手の肩書をアーティストと紹介していた。
芸術活動を多角的に進め成果を出しているのかと推察し感心していたのだが、番組が進むにつれ違和感が増す。
結局元歌手というだけでアーティストと呼んでいたのだ。
最近ときどきラジオを聴くが与えられた楽曲をずれた音程で歌っているだけの小娘を音楽に精通した大人がアーティストと呼び、不幸にも小娘たちは自分がアーティストであると信じて疑っておらず、何の憚りもなく自らをアーテイストと呼ぶ。
何かを創造している自負があるのか?

ラジオやTVでアーティストと紹介されいている人々の大半は歌手だ。作詞作曲を自らしていてもそれはシンガーソングライターだ。プロデュースをしていてもそれはミュージシャンであり編曲家であり音楽家だ。単純にプロデューサーと呼べばよい。

そもそもアーティストとは陶芸や絵画など複数のジャンルで活躍していたり、カテゴライズが難しい前衛的な芸術を行う者への呼称ではないのか。
まさに芸術的と呼べる古今の作曲家を誰もアーティストとは呼ばない。なのに商業的に与えられた曲をTVで口パクしている輩がなぜアーティストなのか?

この疑問に一石を投じるためだけに私は音楽的成功を収めアーティストとして紹介されたときに「アーティストではなく職業歌手です」と答えたい。
しかし私は致命的な音痴なため大和魂を持ってしても可能性は極めて低い。だからきっといるであろうアーティストと呼ばれることに違和感を感じているミュージシャンを探して応援したいと思う。

訳の分らん若輩者をアーティストと呼んでチヤホヤするのが現代日本の文化なのかもしれない。
しかし言葉の意味が曖昧になることは各種の社会不安の元凶となり危険である。
杞憂であることを願う。

今は無き愛器。青春時代の夢はロックギタリストでした。でもアーティストではありませんよ(笑)
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成熟せよ

総理大臣や政府国家をやみくもに批判する人間が多く誠に残念である。慎重な対応をすれば「遅い。無能」と批判し、迅速な対応をし不具合があれば「無策、場当たり」と批判をする。
批判をしている人たちはどうしたいのだろうか?

私には、この危機に乗じて日本を衰退させようとする敵対国の工作なのではとしか思えない。
政府や関係者へ罵声をあびせて自身はなにも復興への行動をしないことは、復興へ大きな責任を負って尽力している人たちを疲弊させモチベーションを低下させ、すなわち復興を阻害している。

政権を交代させたいのであれば民主党や管総理を引きずり降ろしても仕方がない。現政府を超越して政権を獲得しなければ今より良い体制にはなりえない。1位を追い越さず脱落によって得た勝利は2位である。
管直人は無能だとか東電がうそつきとか政府は補償をしろとか、自分自身が影響を与えられないことに関心を寄せてネガティブな言葉を連呼していても状況は改善しない。自分は今後どうしたいのか?そのために今の自分に何ができるのか?そう考え行動するべきである。

特攻隊員がなぜ笑顔で出撃できたのか。
洗脳されていたとか時代だからとか薬物を使用していたとか、そのような理解しかできない人間は日頃から依存した幼い人格と言わざるを得ない。
彼ら若き飛行兵の多くは学鷲と呼ばれる出陣学徒だ。政治や国際関係を学ぶ者も多く戦局を冷静に分析することができた。すなわち彼らの多くは特攻攻撃によって戦局を逆転できるとは考えていなかった。間もなく訪れる日本初の敗戦に向けて講和を有利にするために自分に何ができるかを考えた結果が自爆攻撃なのだ。全員がそうであったとは言わないが多くの特攻隊員は誇り高く出撃したのだ。
彼ら学徒が政府の政策批判などしようと思えば議論は尽きず素晴らしい意見も多数出たかもしれない。しかしそんなことは意味がなく時間と労力の無駄で意欲を挫くだけなのだ。国家存亡の危機に直面しては自分ができることに集中し死力を尽くすのみ。

高い所から無責任に政府への文句を言い続けている人。補償だ賠償だと働きもせず元気いっぱいにたかっている人。日本を滅ぼしたいのですか?
自国の悪口を言うことが天下国家を語ることだと思っているのだったら愚の骨頂である。私利私欲を取り戻すことが復興と思う犠牲者もしかり。
他者に依存した未熟な生き方をやめ自立して自分ができることに尽力しよう。自分が目指す方向を見失わず進もう。
卑劣な報道に流されるな!

大型連休

最近気付いたのだが国営放送のニュースでは頑なにゴールデンウィークという言葉を使わない。商標関係なのではと推察されるがもはや完全に常用句と思われるにも関わらずすごい拘りである。きっとタレント司会者の番組ではぼろぼろ連発しディレクターあたりが始末書を乱発しているに違いない。滑稽に思う反面無駄な和製英語を排除し正しい日本語で表記することは大変好ましいことである。

私も1日だけ行楽地へと出向いてみた。

上野動物園へ出向いてみたのだがパンダ人気たるやすさまじくその行列は園内各所の通路を網羅し他の動物の見学までも阻害する有様であった。早々にパンダは断念し主たる大型動物を見学後、土産物屋でせめてパンダ関連品でも購入しようかと思うもこちらも大混雑で突入を断念し科学博物館へ転進することとした。

国立科学博物館の現在の特別展は宝石サンゴであった。その会場で小学4年生位の少年がサンゴを見つめながら
「これはレプリカだと思うんだよね」と独り言。
上へ上がり零戦の展示を見学する。学生風の女性が熱心に一眼レフで撮影をしている。そこへ若い母親が幼い男児の手を引き「ほらゼロ戦よ。本物よ」と興奮しているが男児は興味無く迷惑そうな表情。う~む。零戦は若い女性に人気があるのかと私が感心していると、さっきとは違う小学生の少年がフードのはずされたエンジンを見つめながら
「三菱製とか言っても機体だけだろ。エンジンは違うじゃないか」と独り言

少年たちの発言の正否はわからないがそれは大きな問題ではない。どこかに解説があったのかもしれないし、少年たちが反抗期で否定的な物の見方なのかもしれない。
私は少年たちの発言からお客様に御満足頂くためには更なる精進と努力が必要と痛感し今後への警鐘を頂いたと感じた。皆様により一層ご満足頂けるよう、慣れによって形成された不健全なパラダイムを打破し誠実に頑張ります。

国立科学博物館
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太平洋の奇跡

サイパンで戦死した御叔父の生き様を垣間見るべく映画を楽しみに拝見致しました。
内容につきましては原作を繰り返し何度も拝読しておったため不満や疑問に感ずる部分も多々ありました。しかしながら敗戦前の日本人の価値観や誇りに迫ろうとする姿勢が感じられ好感を持ちました。
サイパン戦没者の遺族として、サイパン島の日本兵が誇り高く戦ったことを実話として映画化して頂いたことは誠に感謝に堪えません。
今では日本人であっても劇中の米軍司令官の様に日本人の価値観を理解できない人が多くいらっしゃると思います。一人でも多くの方がこの映画から日本人の心を感じ、自分自身へ落とし込んで頂きたいと願います。

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震災被害

被災地はもとより他の多くの地域においても様々な御苦労があろうかと存じます。
心より皆様へお見舞い申し上げます。

当店も計画停電のエリア内にあり連日3時間から6時間の停電がございます。またサーバーの停電エリアが異なるため再大12時間ネットが使えない事がございます。緊急の御連絡には対応できない場合がございますことを御了承下さい。

多くのメディアにおいて日の丸や『日本は強い』『日本負けるな』といった題目を目にする事が多々ございます。私はまるで戦中の様子を垣間見ているような気持ちになります。
今まさに日本人としての尊厳が問われている時と思います。私たちは過去の英霊や未来の日本人に恥じることの無い誇り高い行動をしようではありませんか。
日本は小さな島国ながら、長い歴史と高い精神文化を持ち幾多の困難を物質に頼らず英知で乗り越えてきた、他に類を見ない単一民族国家です。私たちは日本人です。

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プロフィール

someyagunsoh

Author:someyagunsoh
代表取締役社長 染屋雅俊

1965年4月27日生
千葉県佐倉市出身

陸上自衛隊 レンジャー課程修了
慶應義塾大学文学部中退
元進学塾・予備校数学教師
教育事業コンサルタント

大叔父は海軍上等兵曹染屋雄三
横須賀第二陸戦隊所属。海軍第五根拠地隊司令部付。
昭和19年7月サイパン島にて玉砕。

青春を護国に捧げ独身のまま戦死した子孫のいない大叔父の孫として生きる。

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