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複数在庫の未使用品について

表題に関し写真と全て同じ状態なのかという質問を頂きました。

当社の評価基準における状態としては全て同じです。
しかし質問者の方の意図は「糸や虫穴の状態」との事でした。

説明文に「状態並」で劣化があることを明記した古い物ですので全てが写真と同じという事はありえません。
全てに様々な経年相応の傷みがありますので状態を「並」と表記しています。

質問頂いた品物は倉庫から箱に入った状態で入荷したため未使用品と記しました。
未使用品だから状態が良いとは限りません。
使用されていなくとも素材の劣化やカビや虫食いなどは多くの場合に発生します。
そのため説明の冒頭に状態評価を書かせて頂いております。

「デッドストック」を新品同様の同義語の様に使われていることがあるようですが、
当社における「未使用」は全く意味が異なります。
当社では品質の表現のために未使用品という言葉を使用している訳ではありません。
リサイクルショップが新古品である事を示す「未使用品」とも意味が違う事は言うまでもないと思います。

状態「良」の品物にも「上」と評価できない欠点があります。
複数在庫の品物は「良」でも写真とは異なる欠点がある程度あることを意味しています。
「並」の品物には約100年経過相応またはそれ以上の傷みがあります。

着眼や価値観によっては在庫品が写真より状態が悪いと思われる物も多々あろう かと思います。
写真撮影に使用したものはもうないかもしれません。

状態が異なる場合はそれぞれ毎回写真をアップするべきと思われるかもしれませ んが、
複数必要とされる場合もありますので、当社では同等の状態評価の在庫数を表記しています。

ご理解の程よろしくお願い致します。


過去に未使用に関する件で頂いたご意見
・70年以上前の未使用品なんてある訳がないに決まってる。どうせ偽物を売ってるんだろ。
・未使用って書いてあったのに届いた品物が古臭い。新品と交換しろ。
・ ・・・・

それ実物なのですが・・・

「未使用」に代わる言葉を探さなくてはいけないのかもしれませんが、
今はこれと言って思いつきません。

複数在庫の扱いと説明文表記の改善策を考えます。

織り出しの98式襟章について

織り出しの98式襟章は昭和17年~18年頃に生産された物です。
3式襟章に比べ流通量が少ないです。

下士官の98式と3式では星の色や位置が異なっています。
星の位置は端詰めか中央揃えかという事ではなく上下位置にも差異があります。
3式の一部に98式の色の糸を使用して作られた過渡期品がありますが
星が同位置に見える曹長階級章においてもその年式の違いを判別することができます。

これは以前開業したばかりの頃にお客様に教えて頂きました。
興味深く思ったのですが、その希少性はあまり評価の対象となっていないようで残念です。

ちなみに織り出しの上等兵については98式と3式を判別することはできずにおります。
同一なのかもしれません。
私が当時に決定権を持っていたとしたら3式の上等兵襟章は98式の物を継続生産します。

しかし物資が不足していたと言われる大東亜戦争後半に、
なぜほとんど差異のない曹長階級章の星の色や上下位置を変更して作り直したのでしょうか。
私にはそれが物理的理由だけとは思えません。

そう考えるとひょっとしたら上等兵にも僅かな差異があるのかもしれません。

現在98式の下士官用襟章を出品していないので比較をして頂くための資料画像をご提供できなくで申し訳ございません。
98式の下士官用織り出し襟章は数が少なく珍しいですが、存在しています事をお伝えしたくこの記事を書いています。
お心当たりのある方は確認してみて下さい。

私は収集家ではなく、歴史資料の消失を防ぎたく大切にして下さる方への橋渡しを無知なまま行っています。
商品説明を書こうとする度に知らないことが沢山あることを思い知ります。

軍装品が単なる規格品の大量生産ではなく、手間とコストをかけて多岐に渡っている理由は
失われた日本人の精神性の一端を垣間見せているように思います。

敗戦によって失われた日本人の誇りを伝えたいと願う私へ皆様のご指導を賜れましたら幸いです。

軍装品は日本人が民族の存亡をかけて作られた物です。
軍装品には日本人が決して失いたくなかった精神が込められていると思うのです。

憎しみや軍国主義などではなく、美しい伝統文化の思想がそこにあると思います。


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国境事変従軍記章

国境事変従軍記章は当時の日本で作成された物と満州で作成された物があると言われ、
確かに僅かに彫刻に違いのある2種類の物が存在します。

どちらかが複製という事ではなくどちらも当時の実物です。
素材や品質の差は見受けられません。

満州の物の方が数が少ないと言われ価値が高いとされています。
しかしその章の彫刻の差異は僅かであるので当社では大きな評価差を付けていません。
されど差異があることが分かっているため、あえて分けて注釈にどちらで作られた物か表記しています。

満州国から日本将兵へ授与された記章のため満州国の勲章記章へ分類される場合が多いですが、
多くの日本将兵が従軍記章と同様に佩用していた様子から、当社では日本の従軍記章へ分類しています。

とは言え勲章記章の配列順は定説と異なる場合が多々あり、更なる調査と考察が必要です。

刀の写真追加

刀の刃紋を確認して頂くために新しい撮影方法を導入しました。
過去出品の品物に付いても随時写真を追加いたしております。
刃紋や疵を強調するために実際の色合いと異なる部分がございますが、ご検討頂く一助となれば幸いです。
写真追加の伴って価格の見直しも行っております。

十分な効果が得られず写真を追加していない物や未着手の物もございますが、ぜひ一見頂ければと存じます。

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実用下さる方への感謝と当社の想い

戦中戦後より大切な場面である軍装品を代々お使い頂いている方のご意見を伺う機会を得ました。

複製品を探されたり代用品を使われたりもしたとの事ですが、自分の父や祖父が使っていた物と同じ当時の軍用の物を使われてその差を痛感されたそうです。
そしてこの素晴らしさを子供たちにも伝えたい。しかし今後入手は難しくなるだろうという事でご相談を頂きました。

実際に使用することで素晴らしさを体感し大切に思って頂けているお気持ちが伝わってきてうれしく思いました。
これは当社の理念である戦争の記憶を実際の物品を通じ未来へ伝える事、当時の品物の作りの高さ から失われた日本人のすばらしさを呼び起こすことと思いは合致しております。

しかし同時に貴重な歴史資料が使用されることで消耗してしまうことは残念に 思ってしまう部分もございます。


実際にシビアな状況で使用したいのだが状態はどうかとご質問を頂きました。

当社は実用の ための販売ではございませんので 実用性の観点から状態を評価している訳ではありません。
古い物ですのでそれぞれ多少の欠点はございます。実用目的の方とは着眼が異なるため 評価が異なる場合があることは否めないと思います。
また私は自衛隊の経験はございますが、戦中の軍装品を使用したことはございませんので評価が難しいものが多々ございます。
経年による強度等の劣化を的確に判定することもできません。

また軍用と比較して実用に不向きな民間用の物品も、内地の銃後の方々の御苦労がその品質差から伝わる貴重な史料であると思います。
粗末な装備を使われていた方も愛する人の命と国家存亡の危機に必死に戦っておられたと思います。
当時の品物はどれも血を絞る思いで作られた渾身の逸品です。

よって実用に不向きだからと否定的な評価は申し上げられませんことを ご理解賜れましたら幸いです。


しかし今回ご相談を頂いて御気持ちは理解でき共感もできる部分も多々ございました。
実用を否定をしたいのではございません。

形が違うだけで思いは同じなのではと思いました。

使う事と粗末にする事とは違いますね。
使わなければ本当の良さが分らないものもあるかも知れません。

大切に未来へと伝えて頂ければ幸いです。

芸能人の知り合いから世界は狭いという話

先日インターFMで久しぶりにTHE MAD CAPSULE MARKETS(ザ・マッド・カプセル・マーケッツ)の「神歌」を聴いた。
この曲は歪んだサウンドにデジタルエフェクトという当時では新しいスタイルながら完成度が高い楽曲だ。
古典的なHM・HR好きな私がすぐに「これは良い」と素直に思った。
そして歌詞がまた良く当サイトを訪れる方々にもお勧めできる内容だ。

歌詞を書くと権利が面倒な様なので紹介できないが主たる部分は、
「日出づる国に我あり、日出づる国に神あり、日出づる国に幸あれ」
と言った内容をラップ調の早口で力強く畳み込む。
海外での評価も高いようで、今の立場から改めて感動する。

ここでようやく表題に至るのだが、このMADのボーカルKYONO君は知り合いなのだ。
と言ってももう25年くらい会っていないから向こうは覚えていないかもしれないけれど。
デビュー直前頃に私の自宅に遊びに来たことがあり、その時貸したレコードは未だに返ってきていない。
まあ今戻ってきてもアナログ盤を聴くことはできないんだけどね。
私がメタルギターを弾くこと知るとMAD(当時は別名)メンバーとジャムセッションに誘ってくれたんだけど、
当時はもうあまり弾いていなかったので私が躊躇し結局セッションすることはなかった。
今思うとろくに弾けなくてもメンバーとスタジオで写真でも撮っておけばよかったな。

そんな訳で最近KYONO君はどうしているのだろうと調べてみると、電撃ネットワークのギュウゾウ氏ととても親しいとある。

実はそのギュウゾウ氏とも私は知り合いである。
ギュウゾウ氏は私が結婚する時に連絡をしたら公演先のオーストラリアから祝電をくれたのできっと今でも覚えてくれているに違いない。
ギュウゾウ氏も彼のデビュー直前の知り合いで、電撃ネットワーク結成直前に「今度南部さんとグループを組むので根性がある奴を仲間に探しているのだがお前一緒にやらないか?」と誘われた。
ギュウゾウ氏とは書けないような馬鹿をしていた仲なのだが、彼は当時から強烈でその彼が「根性のある奴」というのは尋常ではないと直感し、レンジャー上がりの私でも思わず「自分にはそれほどの根性はないです」とお断りしました。
電撃ネットワークは多くの方が御存じとは思いますが、私はプロのサソリ喰いにならなくて良かったと思います。

そういえばKYONO君はギュウゾウ氏の自宅でサソリに衝撃を受け「サソリ」と言う曲を作詞したそうで、一歩違ったらそこで再会していたかもしれません。

3人で飯にでも行けたら面白いなと思うが2人ともイカツイので奢ったらえらいことになりそうだ。
いつかそんな2人を飯に誘えるような小金持ちになりたいものである。
その時までどうか私を覚えていて欲しい。(現状覚えている可能性がすでに微妙だが)


そして更にこの話は続く。
今回の話のきっかけとなったMADの神歌をインターFMで流したのは、MADのメンバーと交流のあるジョージ・ウイリアムス君なのだが、彼とも会って色々話をしたことがある。
その時彼にメールアドレスを聞かれたのだが面倒で連絡しなかった事がちょっと惜しまれる。

インターFMでジョージ・ウイリアムス君といえば私は毎週WTF?と言う番組を楽しみに聴いているのだが、そこでジョージ君と共演しているタロー君も電話で話をしたことがある。

私は別に元芸能人という訳ではなく、友達が沢山いる訳でもなく、
神奈川の片隅からほとんど出ることもなく静かに暮らしている。
今は人との付き合いを避け、外で酒を飲むのは年に一度の野球部の同窓会だけだ。


国際的に活躍している色々な人と私が繋がっていて、その人達が繋がりあっていることに不思議な縁を感じます。

芸能人の知り合いから世界は狭いという話でした。

ジョーカーゲーム

ジョーカーゲームの映画公開がようやく発表されましたね。
純粋な戦争映画ではない娯楽作品ですが
仕事として関わらせて頂いたので楽しみです。
エンドロールに社名が載る予定ですが、
常々あまりにも莫大なので発見は困難かもしれません。

撮影は昨年から短期間で終了しているようでしたが、編集が大変なのでしょうか。
時間で測ると映画製作において撮影はごく僅かでしかないようです。

では映画の本質は何なのでしょうか。
最も多くのエネルギーは一体どこに投下されているのだろうか。

身近なのに知らない映画の世界。
似ているのにTVの速度感とまるで違う。

少し関わったせいで謎は深まるばかりです。

お会いした制作関係者や映画会社の方々はとても忙しそうで
興味や好奇心で質問をさせて頂くことはとても出来ませんでした。

8月15日

今年も8月15日を終戦記念日と平気で言う文化人気取りの人間に呆れる。
8月15日は『戦没者を追悼し平和を祈念する日』です。
敗戦の日を記念日と呼ぶことは戦没者を追悼する事と逆なのではと思う。
終戦は平和かもしれないが、敗戦が平和の象徴なのだろうか。

大空襲や原爆投下による銃後の方々の犠牲にも思いを馳せて欲しいと思う。
それでも敗戦の日を記念日と呼ぶのか。

勲六等旭日章・箱書き銀字品の時代特定について

旭日章は明治10年頃から平成初期まで勲章本体や綬の意匠がほとんど変わっておりませんので、時代の特定は困難です。
勲章類について様々調査をしておりますが、旭日章の時代を特定する公式な資料や研究論文等を拝見した事がございません。
よって勲六等旭日章・箱書き銀字品が「第二次大戦当時の旭日章で間違いないか」という問いに対し「間違いない」とは申し上げることはできません。

私感と致しましては勲六等旭日章・箱書き銀字品は金鵄勲章の前期・中期・後期と大別される後期の物と同様の箱の特徴を持っています事から昭和前期頃の物と推察されます。

瑞宝章は時代により僅かな意匠の違いがあり、ある程度の時代特定が可能ですが、ほぼ金鵄勲章と同様な箱の時代特性を持っています。
しかし瑞宝章の箱書きは昭和後期にも銀字の物があり、旭日章においては勲章本体の意匠が同じであるため、昭和後期に瑞宝章同様の銀字の箱書きの物が存在すると仮定したならば、その時代判別は極めて困難です。
瑞宝章では新しい物に文字が若干太いものがありますがその差は0.1㎜程度であり、また個体差があるため確証を得るには至りません。
昭和初期頃の物と全く同じ箱書きの昭和後期品も存在しています。

また旭日章が金鵄勲章や瑞宝章と同じ時代特性を持っている可能性は高いと思われますが確証はございません。

勲六等旭日章・箱書き銀字品は現在出品している昭和15年の勲六等旭日章の勲記と勲六等旭日章・箱書き銀字品は対ではありませんが、他の旭日章の勲記の在庫を見ると昭和15年の物が多く、この年は皇紀2600年に当たることから、旭日章がこの年に多く叙勲されたのではと推察することもできます。
よってこちらは「第二次大戦当時の旭日章」に最も近い物と推察されますが、昭和16年12月から昭和20年8月の約3年半の間の物ではない可能性がございます。
満州事変頃の物かもしれませんし戦後間もない頃の物かもしれません。
前期の通り昭和後期の物である可能性も否定できません。

当社に勲六等旭日章の箱書きが銀字の物が複数あり、文字の太さが異なっていますが箱内部に差異は発見できませんでした。

当社における1,000個に満たない程度の勲章による考察や推察では誤っている可能性もございます事をご了承下さい。
結論のない稚拙な内容で失礼致しました。

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元特攻隊員の方が御来社下さいました

予科練出身 元二等飛行兵曹 阿部金義 殿

大日本帝国海軍
第三航空艦隊 706空攻撃隊 405飛行隊

第4次丹作戦 神風特別攻撃隊
第五御楯隊 台湾台南航空隊
第一次攻撃隊 4番機 陸上爆撃機「銀河」電信員


御来社下さり貴重なお話をご教授頂きました。


第五御楯隊

20年8月5日に第3航空艦隊司令長官臨席の元で別杯を交わし、
日の丸の鉢巻を締め無線柱に南無八幡大菩薩の小旗を掲げ8月7日に台湾へ進出。

800㎏爆弾の尾部を切断し強引に2発を機体に固定し乗員が投下できない状態に兵装。
大本営より8月15日頃に本土空襲後にレイテに帰投する敵機動部隊に対し特攻との命令が発令。

しかし15日の昼過ぎに終戦の連絡が届き、午後3時過ぎに作戦の中止が決定。


昭和3年8月生まれでいらっしゃり最年少の特攻隊員であったとおっしゃっていました。

阿部様


戦死した親族の足跡を調べ思う事

「永遠の0」はご存知の通り現代を生きる者が戦死した先祖の足跡を辿る物語だ。
従来の戦争映画にはない現代からの視点がヒットの要因の一つではないかと思う。


しかしこのように戦死者の足跡を辿ることは通常容易ではない。
私は公言を憚ってきたが、この様な点から考えると特攻隊は恵まれていると思う。

特攻隊は悲劇の象徴のように描かれる事が多い。
若い学生が青春を断ち切られ捨て身の攻撃をする。

でもこれは遺書を残すことが出来て士官として敵への攻撃を敢行し死亡日時や場所も概ね特定される。
映画のように生き残った同僚などや証言があり資料や文献も多く残り記念館もある。


しかし多くの兵士は、進学できず幼さが残る若い年齢で青春も知らず入隊し、
最低階級から長い年月の間厳しい軍隊生活を送り、
兵や下士官として人知れず何の記録もなく死んでいった。

軍は組織であるから前戦とはいえ全員が戦闘要員ではない。
敵と戦うこともなく華々しい名誉の戦死とは呼べないような状況で
深い海底や山奥で眠っている方が多くいらっしゃるだろう。


先日、記録が皆無に近い小さな輸送船にて撃沈され戦死した方のご遺族のお話を伺った。
その方は大変なご苦労をされて命日を調べられたという。


私の大叔父も重巡洋艦「鳥海」に搭乗し南洋方面にて戦死したと伝え聞いていた。
確かに本家に残る大叔父の写真は水兵帽の前章に「大日本海軍軍艦鳥海」と書かれていた。

しかし私の調査で陸戦隊としてサイパンで戦死したことが判明した。
命日はサイパン玉砕の日としている。

しかしあまりにも一方的なその戦闘の中で、
きっと敵にまともな攻撃もできず一体いつサイパン島の何処で戦死したのかは分からない。

当家には支那事変従軍記章と戦後授与された青色桐葉章しか遺品がない。
玉砕の島に居て生き残った戦友を探し出すことは私には叶わなかった。

しかしサイパンは重要な戦地であり記録が多少はある。
何冊も文献を当たっても下士官だった大叔父に関する記録がある訳もなく所属した部隊の情報すらも少ないが、
それでも大叔父がいたと思われるサイパンの海軍司令部の場所を調べ訪ねる事が出来る。

そしていつかサイパンの何かを日本へ持ち帰り墓へ入れられたらと思う。


そのようなことが出来る私は十分恵まれているのだろう。



命の価値に差はないのだから、どのような死に様でも関係ないと思われるかも知れない。
知らない方が良い場合もあるかも知れない。
しかし最後の様子、せめて命日や死地を知りたいと思う気持ちは多くの遺族が持っているのではないだろうか。


だからやはり私は遺書や遺品があり生き様を辿る事ができる特攻隊員を羨ましく思ってしまうのであった。


「永遠の0」の主人公である宮部久蔵は16歳で入隊し下士官から特務士官になった設定である。
学徒とはちがう苦労の一部を感じる事が出来る。

小説や映画には決してならない方々の命や無念にも想いを馳せる機会となって欲しいと思う。

苦言か堪えるか

以前勤務していた会社で「気付いていることを相手に言わないことは愛情が欠如している」と厳しく言われた。
確かに子供の頃も、友人が間違えていたり悪いことしていたりしたら、お互いが嫌な気分になるとしても、きちんと意見を伝え正すことが大切であり友情であると言われ納得をしたものだ。
高校生の頃に言いにくい欠点などを指摘してくれる友人はありがたく信頼が増した経験がある。
苦言を呈すという言葉も古来よりある。

山本五十六元帥は言いたいことを堪えることが男の修行と言っておられる。
この相反することに対し私はどちらが正しいのだろうと迷うことがある。
臨機応変に対応すればよいのだろうが、それではブレてしまい「やはりきちんと伝えるべきであった」とか「言わない方がよかったのでは」と思う事が多々あった。

先日、論理破綻しているにも関わらず自分だけが正しいと疑わず攻撃的に主張をする「おばさん」に出会ってしまった。
論破する余地は大いにあるが、相手には他者の言葉を理解しようとする気持ちなど微塵も感じられず、不毛な議論になることは簡単に予測できた。
そもそもその姿勢の醜さに呆れ腹が立った。
しかし同時にそれは私が相手の為と称し自分の心象を伝えることすなわち苦言を呈していると思っていることは、その内容が論理的に整合性があっても、相手を責めるだけの、それはまるで「おばさん」の理不尽な我儘な不満の排泄と大差がないのではないかと思った。

だから私は明らかに相手にとって有益であると強く確信できる事以外は、自分が苦言と思っている心象意見を伝えることはやめようと思う。
仕事柄的にも山本五十六元帥の教えに従う事が筋であろう。
元帥は修行と言っておられるが、その方がきっと楽な人生なのではと思う。

例えば大きな組織に対しクレームを申し上げても、電話を受けたオペレーターが嫌な思いをするだけで、自分の意見が他組織に変化を与えられると考えることは大きな驕りであると思う。小さなことや個人の事でも然り。
きっとありがちなクレームは随所で「おばさん」達が様々沢山伝えてくれている事だろう。
私が偉そうにその責務を負う必要はない。
ましてや怒りに任せて不平不満を排泄するような「おばさん」のような人間ではありたくない。

昔読んだ反体制的な本に「男のおばさん」という言葉があった。
私が言う「おばさん」とは、中年女性を指して社会悪だと言っている訳ではない。
いわゆる「おばさん」と言われるような人に問題がある訳で、性別や年齢は関係なく「おばさん」は存在している。
「おばさん」とは「オタク」のように人をカテゴライズする言葉なのだ。
「おばさん」な中年女性は今風に言うと「リアオバ」と言ったところか。
「リアオバ」は昔の「つっぱり」のようにわかりやすいが「隠れオバ」は厄介である。

ここが男の修行処であろう。
そう思えばこれも愉快。HPが上昇してしまいそうである。


楽しく優しく穏やかに生きていきたいと思う。

こんな事を思う日が来るとは思わなかった。
長く生き過ぎたのか。

宮部先生の影響かもしれません。

鑑定団による弊害

仕事柄TV番組「なんでも鑑定団」をよく視聴しています。
すると多くの鑑定依頼者が「粘って半額で買いました」というようなエピソードを披露します。
そのためか当社にも値引きを要求したり買取査定額を交渉して引き上げようとする方がいます。

先日こんな電話が掛かってきました。
「これ何ぼになるんじゃ」私「どのお品物でしょうか?」
「だからなんぼまけるんかと聞いとるんじゃ」私「当社ではお値引きは致しておりません」
「なんじゃ負けんのかい。ならいらんわ」

他にも踏み倒しや理解に苦しむ因縁などもあります。
それら名を名乗らない者や偽名を使う者が武士とは思えませんので「仁」により許そうと思いますが、中には武士を気取り批判する者もあり、ならばそれだけの覚悟と道徳を持ち武士道を体現して頂けなければと思います。
「誠」に反し「礼」を欠く者がどうしなければならないのかは武士であればご存じの事と思います。

私は武士の心を持った人にしか販売できないと言っている訳ではありません。
戦争に深い理解のある人にしか販売できないと言っている訳ではありません。
むしろ上記とは逆の方々に広く実物を手に取り感じて頂く事で理解や考察を深めて頂きたいと思っています。

私は戦争を賛美しているのではありません。
戦争の記憶を未来へ伝えることで二度と戦争が起こらないようにと願っています。

当社の品物の多くは武士として生きようとした方々や武士として生きざるを得なかった方々の魂と生き様を未来へ伝えるものです。
「永遠の0」も失われゆく戦争の記憶を未来へ繋ぐことが大きなテーマでした。
戦争を体験された方は間もなく誰も居なくなってしまいます。
現在多くの人が様々な方法で戦争の事実を未来へ伝える努力をしています。

国の為に命を懸けた方々の品物に対し「礼」をもって接して頂きたいと思います。
なぜこれらの遺品に対しそれほどにまで利己的になれるのでしょうか。


中学校の合唱に思うこと

長女の中学校で合唱大会がありました。
長女のクラスは最優秀賞を受賞し、大会が終わった今も機嫌よく合唱曲を口ずさんでいます。
「平和の~」という曲を歌ったそうです。

長女の歌を聴いていると歌詞の平和への理解に違和感を抱きました。
ありがちと言えばありがちですが「心を一つに~」とか「愚かな権力が~」とか「手をつなごう」とか「フェンスを越えて~」とか。
それらによって奇跡が起こり平和がもたらされるという内容のようだ。

作詞者が愚鈍でただ耳触りの良い言葉を羅列しただけなのなら仕方がないかもしれませんが、知識見識のある人間であるのであれば反社会的な悪意があるとしか思えません。

だってみんなが一つになれば地球が平和になるというのは明らかに共産主義思想ですよね。
「君が変われば~」って日本を社会主義にしようと呼びかけている。

世界を一つの思想に統一することは現実的ではないし、大切なのは相違点を尊重することで受容し相乗効果を生み出すことだ。
民族、宗教、信仰、文化、歴史などが異なるみんながひとつになろうとし続けたら戦争や紛争は無くならず増える一方だろう。
ひとつになることが平和の方法であると子供に教え、相違点を尊重し受け入れることの重要性を教えなければいじめの問題を増加し続ける事だろう。

個性教育と言っているにも関わらず、この個性を否定する曲を合唱させてその後も連日生徒が口ずさんでいる現実。

合唱大会は中学校での行事ですから当然教育の一環なのでしょう。
だとしたらこのような曲を使用することは大きな問題があると私は思います。

以前小学校が左翼教育だと書きましたが、この合唱曲を中学校が選択しているのであれば共産主義教育をしていると言わざるを得ないだろう。

極端に言えば反社会的な人間を製造してるとも言える。
協調性は同化によって生まれるのではなく、他者の自分と異なる個性を認め尊重することによって生まれるのだから。

誤ったもしくは現実離れした平和観が戦争を起こし続けていることは、戦争の歴史や現状と、聖書に起因する宗教を代表とする唯一神を崇拝する宗教との関係を見れば一目瞭然でしょう。

従軍慰安婦問題の催事

市の広報に従軍慰安婦問題に関するパネル展があるというので見学に行ってみた。
市の関連施設が会場なのでどうせくだらない左寄りのものなのだろうと思っていた。
まあそんな中でも有益な資料の展示もあるのではと期待し会場入りすると、選挙演説のような勢いで講演が行われており驚いた。
内容は日本政府や政党に対する批判である。
席は30程度用意されていたがほぼ満席の状態であり聴衆は熱心に聞き入っていた。
マイクが使用されており着席しなくても会場中に声が響いていたので、私は壁面のパネル展示を端から見ていた。

その内容は従軍慰安婦問題が捏造であることの証拠や経緯、韓国や中国の陰謀プロパガンダであるという説、日本政府の失策等の内容が写真を多用しわかりやすく展示されていた。

反左翼的な姿勢は私と近いものである。しかし違和感を強く感じた。

それは従軍慰安婦問題を外交の手段として使う反日諸国に対し非常に攻撃的であるからだ。
展示内容は論理的で結論は断定的である。
すなわち日本は正しいのに反日諸国はとんでもない外交姿勢で挑発しているという内容を反論できないように主張しているのだ。

私が以前海洋環境保護活動をしていた時に師から言われたことは「俺たちは反対活動はしない」。
当時環境保護活動はまだ歴史が浅くデモなどの反対活動が主流だった。
しかし師は対立から改善は生まれないと考えおり私は共感した。

強く対立しようとするパネル展は、私にとっては挑発しているとする反日諸国と大差がないように感じた。
むしろ挑発行為に対する思う壺なのではないか。
双方が正しいと主張する口論のようで出口が見えない。

私は反日諸国が主張する従軍慰安婦問題が正しいとは思わないし、パネル展の内容が稚拙だとか誤りがあるとは思わない。

しかしこの問題が対立によって解決できるのか疑問を感じるとともに、見学者が自らできる行動が具体的に提案されていないように感じたことを残念に思った。
展示内容の知識見識が充実していただけに、対立以外の具体的な対策立案の可能性が期待される。
この展示で感銘を受けた人に主催者側はどのような行動をしてもらいたいと考えているのだろうか。
寄付や署名以外のできることを知りたいと思った。

機関紙を頂いたが約半分の紙面は協賛の個人名や団体名が書かれていた。
多くの憂国の団体や諸兄がいらっしゃることにも驚いた。

様々な驚きと自分のあり方を考える機会を得た一日であった。
私は影響を与えることが困難な事に関与するよりも、自分にできることに集中したいと思う。

この文はパネル展の主催者や関係団体を批判するものではなく個人的な感想である。

8月15日

民放のテレビやラジオで女子アナが終戦記念日と言っている。
無知で何も疑問を感じずアナウンスしているのか。
何者かが作為的に原稿を書いているのか。
いずれにしても腹が立つ。

今年の靖国はいつもに増して政治的すぎる。
宗教的な外交干渉は欧米や中東での戦争の火種と同じだ。
誰もかれも和平のために散華した英霊に無礼である。
政治のために靖国にやってきた方々は何かを感じたのだろうか?

日本も中国も韓国も皆どうかしている。

私の家族は気を使って今日の予定を空白にしていてくれたが、私は靖国へ行く気になれなかった。
私は靖国を全面的に支持しているわけではないが、英霊を外交(戦争)の切り札として使用して欲しくない。
英霊の御苦労や努力そして命を踏みにじるような外交は断じて許せない。

英霊は本当に靖国にいるのか。
靖国は英霊を敬っているのか。
私は靖国へ行くたびに残念な思いと疑問を抱く。

なんか今年の騒動にはしらけてしまった。
英霊はいつも見守ってくれている。
靖国へ行かなくてもいつも感じている。

専門家の判断を安易に批判するつもりはない。
ただ今年は強い違和感を持った。
誰にも共感できない。

寂しいけど記念日じゃないのだから別に構わないだろう。

歴史人に品物が紹介されました

現在発売中の歴史人別冊日露戦争の真実の通販コーナーにてに当店の品物が紹介されました。
また現在開催中の歴史人バックナンバーフェアにおいても当店の飛行服や勲章類が販売されています。
宜しかったらご覧になってみて下さい。


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当店の商品がモデルアート誌に紹介されました

本日7月26日発売のモデルアート誌に当店の零式雷撃照準器二型が紹介されました。
次号に詳しい記事が掲載される予定です。
もしよろしかったらご覧になってみて下さい。
文は私ではなく佐藤邦彦氏の連載の中での紹介となっています。

http://someyagunsoh.web.fc2.com/syouzyunnki.html

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護国の鬼

国敗れて山河なし
生きてかひなき命なら
死して護国の鬼たらむ

御国の御役にも立たず、何の手柄も立てず申し訳ありません。
死んで護国の鬼となります。
私は生きて降伏することはできません。
私は生き長らえていたら必ず何か策動などして
恐れ乍ら和平の大詔に背き奉り君には不忠、
親には不孝と相成る事、目に見えるやうであります。

戦後自ら鬼にならんと自決した人々がいます。
記録のある僅かな人は英霊と共に靖国に祭られています。
しかし誰にも知られず鬼となって日本を守っている方々がたくさんいらっしゃいます。

武人でない人には戦後に自決する行為は愚かに映る事でしょう。
ノイローゼ位にしか思っていないのでしょう。

どうか未来の和平のために命を捨てて鬼になる選択しかなかった人たちの思いを考えて欲しい。
戦死した仲間達は神であるにもかかわらず、鬼として誰にも知られず敬われず日本を守り続けている魂を。
日本人として武人としての死にざまから、鬼の生きざまを。

おもちゃが気に入らずママが返品

最近古くて着用できないと言ったクレームや返品が多い。
そりゃそうさ。100年前後前の歴史資料を販売しているのだから。
どうも当店をコスプレ用品屋かおもちゃ屋のように思っているようだ。
さらにひどいのは男性名で購入された商品に対しおばさんがクレームの電話を掛けてくることだ。
ネットで買ったおもちゃが気に入らずママに返品を頼むのだろう。

「納豆買ったら豆が腐ってたわよ」みたいなクレームには返す言葉が浮かばない。
英霊の遺品で戦争ごっこをしてはいけないと私は思います。
防毒面を装着して今はやりの富士山に登ろうと思ったのにゴムが硬くて覆れないから、代金全額はおろか返送料や振込手数料まで支払えという輩もいます。

洒落や遊びのために護国の血の結晶を使い捨てないでください。
それは田舎の老人たちが農業で国債を積み立て、女学生が勤労奉仕で作成し、水枯れ弾尽きても突撃し激烈な戦死を遂げた、大きな輝ける未来の可能性を秘めた若い兵士の遺品かもしれません。
そうでなくとも、どれも同様に日本人が未来の日本のために血を絞る思いで作ったものです。

これも日本軍は糞集団と教育する左翼教師の成果なのでしょう。
そう考えるととんでもない御客様も哀れな被害者なのかもしれません。
これが敗戦なのでしょう。

昨日7月7日はサイパン島の日本軍玉砕の日でした。
私は喪服を着てビクトリーショーへサイパンで戦死した大叔父の写真を持って行きました。
大叔父はどう思ったのだろうと考えた。

やさしい人だったと言われる海軍陸戦隊の大叔父。
きっと笑顔で「別に良いじゃないか」と私に話しかけるような気がした。

価値観はそれぞれだから着用禁止と言うつもりはない。
ただ大切にして欲しいだけ。
そしてママもおぼっちゃまももっと日本人らしくあって欲しい。

大叔父様、私はちょっと神経質でしょうか。

小学生平和ポスターコンテストにおける無視できない問題

下のポスターは長女が小学生の時に茅ケ崎市「平和について」ポスターコンテストへ応募するために図工の時間に描いたものだ。

結果は落選だったのだが、後からこの作品は選考にかけられなかったことが判明した。
担任の左翼教師が独断で出品を取りやめ落選したと嘘の報告をしていたのだ。

以前書いたどうしようもない歴史授業をしている教師の仕業だ。
この男は今担任を持たず立派な役職に付いておりもうすぐ現場を離れ教頭になって戻ってくるようだ。

このような左翼教師が出世する公立義務教育現場をどう考えるか。

いつも一緒に絵を描いていた長女の親友はこのコンテストで最高賞の市長賞を受賞し広島の平和式典へ招待されていた。
長女の無念たるや想像に余りある。

担任の後出しの選考除外理由は「この旗があるとだめなんだよ」だって。
これが教育現場で出世頭のエースのコメントだ。
この男が今後の教育を担う人材の育成を担当する。

今も左翼主義や日教組しか出世できないのだろうか?
もう少しましになっているのではと思っていた。

残念極まりない。

長女の反戦ポスターは当店の入り口ドアに掲示してある。
こんなことしかできない無力な父をどうか許してほしい。


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戦後教育と国旗問題

自立にとって重要な要因の一つに『自信』や『自尊感情』がある。

モチベーションが向上しにくい生徒はこの自信や自尊感情が乏しい場合が多い。
組織マネジメント論的に考えるとこれには帰属意識の欠乏が一因と考えられており、社員研修では自社へのロイヤリティを向上させる施策が生産性向上へ成果を上げている。

帰属意識とは強く組織と結びつくことであるから自立と相反していると感じる人もいるかもしれない。
しかし自分が素晴らしい集団の一員であると自覚できるとそれは自信となり誇りとなり、自立の為の勇気を与える大きな力となるのだ。

しかし現代の児童・生徒は帰属意識が希薄である。
学校でクラスの一員であることを嫌いクラス対抗行事は盛り上がらない。
自分の学校に誇りを持つ生徒は少なく校章を外したり異なる制服を着たり、そして早く卒業したがる。
これは子どもに限らず大人も出身地を隠したり更には日本人であることを恥じるような言動をする者も少なくない。
この帰属意識の危機的な希薄さは政府において問題になるほどであり、小中学校における国旗掲揚の義務化を強行するほどの深刻さである。
そして自国の国旗を掲揚することに多くの教師が反対するような異常事態が発生している。

子どもたちの親の世代は戦後生まれで、明治から敗戦までの日本は世界屈指の糞の様な国であったと教育されている。
そしてアメリカ様に原爆ぶちかまされたおかげで目が覚めてアメリカ様の民主主義のおかげで幸せになる事ができましたと信じている。
子どもたちを指導する教師もこのような左翼教育の信者であるのだ。
賢明な教師であっても日本とは世界最低の軍国主義の象徴であると確信しており、国旗掲揚に反対する事、国歌斉唱を拒否する事こそ子どもたちを二度と戦場へ送り込まない大義の行動と信じている。

教師は自分達を左翼主義者ではないと言うだろう。
私もそう思う。私も自身を右翼主義思想家とは思っていないからだ。
しかし反右翼主義を正義と考えている事は間違いないだろう。
結果、アメリカが占領時に日本の反撃を警戒し日本の伝統文化を徹底否定した教育プログラムが未だに生き続けている。
日本民族の誇りはゴミとして捨てられたままそれを善とした教育が行われ続けているのだ。
子どもたちは学校の教育内容に疑問や違和感を抱いて親に尋ねてもその通りだと言うので信じざるを得ない状況にある。
自分が糞国の国民では当然自信など育つ訳がない。

先日小学校の歴史の授業を参観した。
明治の学校教育について優れていたが富国強兵を目的としているから現代とは大きく違うと説明していた。
その後生徒たちはディスカッションをしたのだが、そのような授業形態は社会人としての即戦力化を目指している文部科学省の方針であると参観者へ説明していた。

この矛盾になぜ気付かないのだろうか。
当時は日本だけが軍国主義だったわけではなく欧米列強が軍国主義だったから日本は独立を守るため同様の外交手段を選択したのだ。
これが維新であり文明開化である。
当時西欧化を進めなかった中国の没落をみれば当時の日本の選択を完全に間違っていたとは言えないだろう。
そして現在は経済至上主義の時代だから優秀なビジネスマンを育成することは国際競争力を高める国家戦略であり、これは軍国主義下で強い兵士を育成することと同一ではないか。

教師はビジネスの現場を全くわかっていない。
教師が多忙で疲弊しているという報道があるが、教育現場と東証1部上場企業の双方の就業経験があり学校の経営指導をしていた私に言わせれば、経済戦争の前線にいる企業戦士と比べ学校教師は半分も働いていない。
民間企業は国際経済に影響が無いような企業においても過労死や自殺者が続出する。
精神や内臓の疾患など当たり前だ。
将来子どもたちが出てゆく社会は教師が考え想像するような甘いものではない。
もし日本の企業が教師の考えているようなものであったなら、近い将来に日本はアメリカの子分でいることすらできず、中国に占領され属国となるだろう。
現代の外交は政府や外務省だけが行っているわけではなく、企業が経済で戦っているのだ。
そして多くの大手日本企業が国際競争に破れ倒産の危機に瀕している。

国旗や国歌を拒絶する教師は、生徒児童から自信や自立する力を奪い熾烈な経済社会において自殺する若者を大量生産しているということを自覚するべきである。
戦場の最前線へ田舎百姓の息子を何の訓練も無しに装備もなく丸裸で捨て駒として送り込むようなことをしているのだ。
子供に教育で育てるべきものは、幻想のビジネススキルではなく、民族の誇りとそこから生まれる揺るぎない自信なのだ。

時間の不足を理由に明治以降の歴史の授業を行わない小中学校の教師を私はたくさん知っている。
多くの進学塾で学校がないがしろにしている現代史の特別補修授業を行っている。
学校の歴史の授業は月曜日である場合が多い。
祝日や学校行事の代休を理由に授業の遅れを正当化している。
カレンダーを読めない教師が解雇されないとは如何なることか?
休日を理由に納期に間に合わないビジネスマンがいると思うのか?
納期に間に合わない仕事を何年も放置し続ける社会人が許される程に日本は文明の遅れた国なのか?

戦争から目をそむけ拒絶することが反戦ではない。
戦争を正しく理解し考察することこそが反戦教育なのだ。
国民の無知が多くの悲劇を生んできた事は歴史が証明しており、だからこそ義務教育があるのだ。

続く

陸軍三式軍服将校用について

昭和18年式制三式軍服は兵下士官用においてはサイズを6種から3種へ減らすなどの簡略化が目立ち、物資不足による改正の印象があるが、将校用においては階級章の大型化や袖章の追加など九八式よりも華美な物へと進化している。

興味深いのは、袖章にて階級を示す新たな方法は海軍の1種軍装と発想が似ており、また襟階級章も星章を中央から端へ変更したがこれは海軍の階級章と同じ方式である。

この頃海軍の新兵は4等水兵であったが陸軍の新兵が2等兵であることに合わせ2等水兵からスタートするように制度改正を行い陸軍が見ても解りやすいようにと階級章のデザインも変更された。

古くから仲が悪くて有名な陸軍と海軍であるが、総力戦に向けて双方の優れた部分は認めて受け入れ歩み寄った結果が陸軍三式将校用軍服に表れているように思えてならない。
実際に南方諸島では海軍が守備しているところへ陸軍部隊が増援され共に戦った所が多数ある。
日本が一つに団結し国難に対決した時代の証人なのではないか。

末期はなんでも物資不足でそのための改定であり何でも粗悪というパラダイムでは真実を感じることはできない。
人間も苦しい時こそその人の人格が現れるものである。
日本を知りたければ日本が苦しい時代を正しく考察することが大切であると思う。

軍装店を始めた訳③ 自信について

子どもに限らず実力があるのに本番で発揮できなかったりして成果に結び付かない人が多くいる。
前回と同じ書き出しで恐縮だが今回は結論をお伝えしたい。

実力をその通り発揮できる人、充分に発揮できない人、実力以上の成果を出せる人。
様々だがその違いは何なのか。それは今回の表題である『自信』である。
自信を持つことによって実力を十分に発揮することはおろか時には実力以上の幸運を招き入れることもあることは多くの人が経験によって知るところである。

では自信は如何にして形成されるのか。
明確な部分としては成功体験である。「これは以前出来た。だから今回も大丈夫だ」といったものだ。
逆も真であり失敗体験は自信を奪い人を臆病にする。よってこの考え方は正しいと言える。
しかし自信を育む要素が成功体験だけでは、新しい事に挑戦するために必要な自信は育むことができない事になってしまう。
ありとあらゆる挑戦的な事例に対し成功し続け自信として蓄積することは普通に考えたら不可能であるからだ。
これを若者特有と言われる根拠のない自信すなわち勘違いに依存せざるを得ないとするのはあまりにも残念と言うものである。

本当に必要な『自信』とは挑戦する自分を支えてくれる力であり、過去の成功体験から生まれる、それはやり方が良く判るから大丈夫というような詳細な説明書がもたらす安心感とは似て非なるものである。
未知の未来へ希望をもたらすものこそ自信なのだ。

日本人はよく外国人から自信のない民族と言われる。
しかし終戦までの日本人は自信に充ち溢れていたように思う。
これは敗戦の為であると人は言う。
間違いではないがこの言葉は誤解を与えている。
日本人は敗戦という失敗体験によって打ちのめされて自信を失ったわけではないからだ。
もしそうであったら焦土からの急速な復興は説明することができない。
日本人は終戦後に時間をかけて自らの自信を失ったのだ。いや奪われたと言った方が適切だろう。

その原因解決による国民の自信回復の為に私は軍装店を起業したのだ。
その詳細はまた次回へと続く。

軍装店を始めた訳② 現代教育の課題 

子どもに限らず実力があるのに本番で発揮できなかったりして成果に結び付かない人が多くいる。

教師が優れた教育を実施し充分な知識や技術を与えても生徒が成果を発揮できない場合、それはもはや教育の領域を超えていると普通の教師は考えるだろう。
与えることが教師の使命と考えるのであれば正解である。
しかしこの問題は特殊な事例ではなく広く見られる現象で無視できる問題ではない。
教育においては最高の物を与えれば最高の成果が得られるというような簡単な構図ではないのだ。
優秀な教師であってもその多くが万策尽くし成果を得られず疲弊している消耗戦に陥っている。

教育とは教え育むと書く。
与えるだけでは『教』のみで育んでいるとは言えない。

学校教師はよく努力などのプロセスを評価したがるが、大人の社会では成果が重要である。
公務員ならいざ知らず経済至上主義の現代社会において成果を創出できない社会人には価値はないのだ。
ろくなアウトプットをできない人間を地道な努力や姿勢を基に幼いころから継続的に高く評価して、推薦で高校や大学に進んだ様な人間の多くは、社会人になって自分の無力を知り耐えがたい挫折を味わうこととなる。
子どもは一人ひとり個性が違うから仕方がないと言ってしまえば、これはもはや育むことを放棄したと言わざるを得ない。
著名な大学から大きな会社へ就職した若者の多くがすぐに退職し不安定な雇用形態を経て大量の自殺者を創出することが現代日本の公教育の『育まない』成果と言っても過言ではないだろう。
これが経済至上主義社会での不適合者を淘汰することが目的であれば素晴らしい成果である。
生活保護制度が見直されて若者や高学歴者など様々な保護制限がされれば今後更に莫大な自殺者を創造することができるだろう。
しかしこれは日本の教育者の本意ではないと私は願いたい。

私は業務において成績向上の手法を標準化し商品化する使命を負っていたので、個別の問題と考えられている教育における成果創出の本質的かつ共通の課題の存在を信じ考察を続けていた。
そして私は識者の助言もあり命題の原因に対する解を得るに至ったのだった。

続く

軍装店を始めた訳① 前職について

前職は進学塾や予備校の現場にて受験学習指導を経て、コンサルティング会社にて学習効果向上プログラムの開発を主業務としていた。
そこには強力な営業部隊を擁しており、私立中学高校、予備校、進学塾、個別補習塾、幼稚園、早期幼児教育機関など様々な教育機関にて教員研修や授業プログラムの導入が行われた。それらで得られた効果測定分析を基に専門家との膨大な議論と考察を行った。

そこで得た結論は、成績向上は一般的な予想に反し教師の知識やプレゼンテーションスキル等の所謂授業スキルに依存する割合はさほど大きく、教師が生徒の成績向上に影響を与えることができる主たる要因は、生徒のモチベーションの向上であるということであった。

即ち自立し自学自習し続けることができる生徒が成績向上を果たすということだ。

そこで生徒のモチベーションを向上し自立や自学自習を促進するための手法をノウハウ化しプロクラムパッケージ化して入念な研修を行い教育現場へ導入した。
未だかつて類を見ない教育プログラムであり、品質は内外の一流企業が高額で導入する研修プログラムと同等で子供向け教育プログラムとしては驚異的なものであった。

当時コーチングやモチベーションコントロールマネジメントなど外部から他者へのモチベーションコントロールが流行し人財系コンサルティングの主流商品となっていた。我々には強力な基礎プログラムや優秀な人財があった。だから子供の教育においてもモチベーションのコントロールをプログラム化することは可能であると考えていた。

結果ある一定の成果は創出したが、しかしそれは決して商品として満足できるものではなかった。つまり同じ教師が担当しても生徒によって成果がまちまちであった。これは教師のテクニカルなアプローチでは限界があることを示していると考えられる。
仕事としては顧客の期待を満足させる成果を創出できなければ商品の品質が不十分ということだ。コンサルティング商品として生徒の成績が必ず向上する手法を教師向けに開発し教育機関へ販売するビジネスプランは破綻の兆しを見せていた。

会社の方向性の問題を指摘したが、すでに開発し販売したプログラムを修正、変更することは億単位の赤字と顧客の信用喪失を生むことを意味し、財政的な余力を失っていた我々に選択の余地はなかった。社と不整合を生じた私は中心である開発部門のマネージャーから教育現場の支援部門へ移動となった。現場を徹底支援することでプログラムの欠点を補完し成果を創出しようとする対処療法的な戦略に動員されたのだ。
これは左遷であったのかもしれないが、敗戦を確信していても講和の為に特攻へ行く学鷲のようで、未来に希望が持てなくても、参謀から前線へ赴く私のモチベーションは低くはなかった。

私は日々様々な教育現場を訪ね意見を聞き指導を行う中で、教育の本質的問題について個人的に考察し続けていた。
そしてやがて軍装店起業へ繋がる思想へと至るのであった。

続く

ミリドル

先日のビクトリーショーにてミリドルなる肩書きの人と会った。ミリタリーアイドルの略らしい。
今までの私が考えもしなかった営業活動を熱心に展開していた。

私は以前ろくに歌も歌えず演技もできない男性アイドルを見て、外見だけでちやほやされて多くの富を得る姿を羨ましく思っていた。
生まれ変わったら何になりたいかと問われると迷わずアイドルと答えていたものだ。

最近はアイドルも多人数ユニットが主で生き残りの厳しさが良く伝えられる。
営業戦略的なメリットは理解できるがパーツ化した各個人は大変だろう。
僅かな確率で成功したとしても誹謗中傷が多い上に日常生活の制約も多く非常にタフな仕事であると言えるだろう。ネット文化の発展に伴いその厳しさは増す一方なのではないか。
昔の私が考えていたようなぼろい仕事ではないことは間違いないだろう。

個人で活動するミリドルのようなニッチなアイドルは更なる地道な努力が必要なのだろう。
彼女の営業活動を見ていたら他の道でも成果を出せるのではと思った。
ロジックはシンプルで明確だが未知の手法。芸能界では知られた手法なのかもしれないが、コンサルタントだった私が知らない手法だから一般企業にはまだ広く浸透していないはずだ。
一般企業でそこまで営業したらさすがに大抵の物は売れるだろうと思ったが、アイドルはそこまでしても簡単には売れないようだ。

商品の販売には営業力のほかに商品力が当然重要となるわけだが、大して魅力的ではないアイドルがいれば、なぜか今一売れない魅力的な人もいるのが事実である。
やはりアイドル産業においても販売推進する営業力は無視できないということだろう。

ミリドル氏の営業手法は革新的で注目に値する。しかし多大な労力が必要で非常に厳しいということを学んだ。
いかなる業界においても経営は厳しいということだろう。
ぼろいと思っていた業界の厳しさを垣間見て気持ちが引き締まりました。

写真はミリドル氏が撮影しブログにあったビクトリーショーでの小生。
光栄です。

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終戦記念日について

本日8月15日を終戦記念日と呼ぶ場合が多い。
しかしこれは日本が敗戦した日であるから記念日と呼ぶのは左翼的で不愉快である。
原爆の日を原爆記念日と呼ぶがごとく愚かさである。

調べてみると公式には終戦記念日という記述は少ない。
正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と言うそうである。
長いと思うのであれば「終戦の日」と呼ぶべきである。

今まで何度も靖国神社参拝をしているが、混雑が嫌で節目の日は避けてきた。
しかし今年は初めて8月15日に足を運んでみた。
きっと右翼や左翼の政治団体が激しく主張をしているのではと期待していたが、時間がやや遅かったせいかとても粛々としていた。

多くの方が喪服やそれに準ずる服装をしていたり和服を丁寧に着用していたりする姿に、私はとても感動しました。
多くの方が暑い中、長い列を作って参拝し、帰り際も鳥居毎に深く礼をしていらっしゃいました。
今でも英霊に礼を尽くす方が想像以上に多くいらっしゃることが嬉しかったです。

本日は「敗戦の日」
英霊の皆様の無念を慰め、受け取った未来へのバトンへの誓いを報告する日と私は思っています。

当家の英霊はサイパンにて玉砕の為、千鳥ヶ淵まで足を伸ばし献花を致しました。
こちらは人もまばらで少し寂しかったです。

現代の思想家

思想家というと難解な本を書いたり演説をしているような印象だろうか。
あるいは地下室で反社会的なビラを印刷している印象だろうか。

思想家とは政治家と似て非なるものである。
そして日本は戦後経済至上主義である。
即ち現代の思想家とは、その思想に基づき業を企て社会を啓蒙する企業人なのだ。
外交において国家よりも商社や多国籍企業の影響力の方が大きい場合が多々ある。
経済至上主義社会において世界を動かすには経済活動であることが最も自然である。

政治はもはや形式でしかなく社会への影響力を喪失している事は現在の日本がそれを証明している。
思想とは未来への道を示すものであり、机上の空論を詠う人間は思想家ではないのだ。

私が申し上げたいことは世の中金が全てであるということではなく、高い成果を創出している企業には優れた思想があり、未来への示唆があるということである。
そして学者や政治家など経済活動にて成果を創出していない人間の戯言は無価値である。

星に願いを

先日は七夕でした。
当家では日本の伝統行事は積極的に取り組むように努めておりますので、家族で笹の葉に短冊を吊りました。

目標を簡潔に明文化し目につくところに貼りだす事は、欧米の成功哲学でも異口同音に幅広くいわれていることです。
私が思うにはこんなものは七夕ははおろか床の間の掛け軸や書き初めなど、日本においては古より当然のごとく行われていた事であります。
ビジネス研修などへ大金を支払い、日本人として当然な文化や習慣を逆輸入し『目標の可視化』などとメモを取っている日本の産業経済の中核を担う大手企業人を見ていると、戦後の日本文化の猛烈な衰退に危機感を感じます。

目標に向かい自己努力をする私的成功においてはここまでで良いのですが、社会的な目標を達成しようとするためには周囲の協力を得る公的成功が必要です。
これは自己目標をできるだけ多くの人に知って頂くことが第一歩となります。

私の今年の短冊には『映画の仕事をする』と書きました。
まずは勉強ですので格安にてお受けさせて頂きます。
どうぞよろしくお願い致します。

ちなみにビジネス文章ではまず結論を明記することが肝要です。
最も大切な部分が文末にあるこの文章の構成は、元ビジネスマンの私としてはとても残念であると言わざるを得ません。
反省。

プロフィール

someyagunsoh

Author:someyagunsoh
代表取締役社長 染屋雅俊

1965年4月27日生
千葉県佐倉市出身

略歴
陸上自衛隊
慶應義塾大学 文学部
元進学塾・予備校教師
教育コンサルタント
[7Habits]公認講師

大叔父は海軍上等兵曹染屋雄三
横須賀第二陸戦隊所属。海軍第五根拠地隊司令部付。
昭和19年7月サイパン島にて玉砕。

青春を護国に捧げ独身のまま戦死した子孫のいない大叔父の孫として生きる。

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