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戦死した親族の足跡を調べ思う事

「永遠の0」はご存知の通り現代を生きる者が戦死した先祖の足跡を辿る物語だ。
従来の戦争映画にはない現代からの視点がヒットの要因の一つではないかと思う。


しかしこのように戦死者の足跡を辿ることは通常容易ではない。
私は公言を憚ってきたが、この様な点から考えると特攻隊は恵まれていると思う。

特攻隊は悲劇の象徴のように描かれる事が多い。
若い学生が青春を断ち切られ捨て身の攻撃をする。

でもこれは遺書を残すことが出来て士官として敵への攻撃を敢行し死亡日時や場所も概ね特定される。
映画のように生き残った同僚などや証言があり資料や文献も多く残り記念館もある。


しかし多くの兵士は、進学できず幼さが残る若い年齢で青春も知らず入隊し、
最低階級から長い年月の間厳しい軍隊生活を送り、
兵や下士官として人知れず何の記録もなく死んでいった。

軍は組織であるから前戦とはいえ全員が戦闘要員ではない。
敵と戦うこともなく華々しい名誉の戦死とは呼べないような状況で
深い海底や山奥で眠っている方が多くいらっしゃるだろう。


先日、記録が皆無に近い小さな輸送船にて撃沈され戦死した方のご遺族のお話を伺った。
その方は大変なご苦労をされて命日を調べられたという。


私の大叔父も重巡洋艦「鳥海」に搭乗し南洋方面にて戦死したと伝え聞いていた。
確かに本家に残る大叔父の写真は水兵帽の前章に「大日本海軍軍艦鳥海」と書かれていた。

しかし私の調査で陸戦隊としてサイパンで戦死したことが判明した。
命日はサイパン玉砕の日としている。

しかしあまりにも一方的なその戦闘の中で、
きっと敵にまともな攻撃もできず一体いつサイパン島の何処で戦死したのかは分からない。

当家には支那事変従軍記章と戦後授与された青色桐葉章しか遺品がない。
玉砕の島に居て生き残った戦友を探し出すことは私には叶わなかった。

しかしサイパンは重要な戦地であり記録が多少はある。
何冊も文献を当たっても下士官だった大叔父に関する記録がある訳もなく所属した部隊の情報すらも少ないが、
それでも大叔父がいたと思われるサイパンの海軍司令部の場所を調べ訪ねる事が出来る。

そしていつかサイパンの何かを日本へ持ち帰り墓へ入れられたらと思う。


そのようなことが出来る私は十分恵まれているのだろう。



命の価値に差はないのだから、どのような死に様でも関係ないと思われるかも知れない。
知らない方が良い場合もあるかも知れない。
しかし最後の様子、せめて命日や死地を知りたいと思う気持ちは多くの遺族が持っているのではないだろうか。


だからやはり私は遺書や遺品があり生き様を辿る事ができる特攻隊員を羨ましく思ってしまうのであった。


「永遠の0」の主人公である宮部久蔵は16歳で入隊し下士官から特務士官になった設定である。
学徒とはちがう苦労の一部を感じる事が出来る。

小説や映画には決してならない方々の命や無念にも想いを馳せる機会となって欲しいと思う。

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プロフィール

someyagunsoh

Author:someyagunsoh
代表取締役社長 染屋雅俊

1965年4月27日生
千葉県佐倉市出身

陸上自衛隊 レンジャー課程修了
慶應義塾大学文学部中退
元進学塾・予備校数学教師
教育事業コンサルタント

大叔父は海軍上等兵曹染屋雄三
横須賀第二陸戦隊所属。海軍第五根拠地隊司令部付。
昭和19年7月サイパン島にて玉砕。

青春を護国に捧げ独身のまま戦死した子孫のいない大叔父の孫として生きる。

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