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「社会の役に立つ」とは何か①

先日機会があって「文学は社会の役に立つか」というテーマの小論文を読む機会があった。
文学好きが文学愛を語るものが多い中、「障碍者は社会の役に立たない」と言う理由で殺害をした事件を引き合いに出しているものがあった。
その論文は「社会の役に立つかと問う社会を問う」というテーマのもので着眼が面白いが、私にとって充分な結論を得るものではなかった。
「社会」を明確に定義して納得ができなければ何を論じても意味がない。
そんなことをモヤモヤと考えていた私にひとつ興味深い話があった。

それは「弱者を税金で生かしているのはどうしてなのか」という問いに対するネット上での回答である。
この問いは、世の摂理は「弱肉強食」であって、それが進化や種の繁栄を支えているのではないか。
という優性保護的な考えに基づいている。

私の解釈を加え要約すると以下のような内容である。

実際の自然界は「弱肉強食」ではありません。
弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません。
現実に虎は兎より強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています。

自然界の掟は、種のレベルにおいては「適者生存」です。
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、最終的に必ず死に「喰われ」にます。
なので個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません
ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです。
10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、2年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります。

「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります。

「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです。
必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります
「適応」していれば、強いか弱いかは関係ありません。

人間の生存戦略は、、、、「社会性」
高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する。
長期の生存が不可能な個体も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です。

どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の”弱者”を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します。
人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました。

「優秀な遺伝子」というものは無く、あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です。
遺伝子によって発現されるどういう”形質”が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です。

現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません。
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンを抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるのです。

アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいないといってよいでしょう。
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです。
その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なのです。


頭良さそうに見えないというご意見を頂いたので、今回はちょっと知的なお話でした((笑)

プロフィール

someyagunsoh

Author:someyagunsoh
代表取締役社長 染屋雅俊

1965年4月27日生
千葉県佐倉市出身

略歴
陸上自衛隊
慶應義塾大学 文学部
元進学塾・予備校教師
教育コンサルタント
[7Habits]公認講師

大叔父は海軍上等兵曹染屋雄三
横須賀第二陸戦隊所属。海軍第五根拠地隊司令部付。
昭和19年7月サイパン島にて玉砕。

青春を護国に捧げ独身のまま戦死した子孫のいない大叔父の孫として生きる。

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