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指揮刀は銃刀法上問題ないのかと質問を受けました

指揮刀の所持は合法です。
これは最高裁で判断された判例があります。
以前ご説明した方がそんな都合の良い話は信用できないとおっしゃっていたので判例を貼っておきます。
知人の司法書士によると有名な判例だそうで法律系の資格試験でよく出題されたことがあるそうです。

最高裁判所第一小法廷 昭和41年(あ)2952号 決定
<前略>
一、銃砲刀剣類等所持取締法において取締対象とされている刀剣類とは、社会通念上、刀または剣等のそれぞれの類型にあてはまる形態と実質とを備えている刃物を指称するものと解するのを相当とし(昭和三一年四月一〇日最高裁判所第三小法廷判決参照)、また、刀の形態を備えていても、その実質すなわち(一)鋼質性材料をもつて製作された刃物、(二)または、ある程度の加工により、刃物となり得るものであることを備えていないものは、法にいう刀剣類にはあたらないと解すべきものと思われる(昭和三六年三月七日最高裁判所第三小法廷判決参照)。

換言すれば、鋼質性材料をもつて製作されたもので、刀剣の形態を備えているものであつても、それが通常、人の身体を損傷する用に供される危険性があるものでなければ、社会通念上刃物とは認め難く、また、それが通常、ある程度の加工によつて刃物となり得ないものはこれまた刃物とは認め難く、このようなものは結局法にいう刀剣類にはあたらないのである。

二、ところで、本件儀礼刀は、鋼質性材料をもつて製作されていることは認められるが、押収にかかる本件儀礼刀そのものの観察によつて明らかなように、その刃先は相当の厚味をもつて危険性のないようにすべて潰してあり、刀身全体に刃はつけてないのである。この儀礼刀はもともと装飾用、儀礼用として製作されたものであるから、製作の際危険性のないように刃先を潰してあるのであつて、勿論、これにある程度の加工を加えて刃物とされるだろうとの意図があつて作られたものではなく、このようにわざわざ危険性のないように刃先を潰して作つてある儀礼刀は、社会通念上刃物とは到底認め難いのである。

三、次に、この儀礼刀が、ある程度の加工によつて刃物となり得るかどうかの点について、第一審鑑定人徳永勲、宮崎豊作成の鑑定書によると、本件儀礼刀に刃をつけるには、電動式グラインダーを使用して切削した後、砥石を使用して研磨すれば、その所要時間は約七、八時間であり、また、電動式か手動式のグラインダーを使用せずして、平ヤスリを使用して切削した後、砥石で研磨すればその所要時間は約十四時間と考えられるとのことであるが、この鑑定書のとおりであるとしても、一般世人が通常考えられる手近かな方法によつて加工するとして、決して短時間に容易に刃をつけ得られるものでないことが認められる。

鑑定書記載のような一般世人が容易に入手使用のでき難い特別の機械器具を用いても、なおかつ七、八時間乃至十四時間位も加工しなければ刃がつけ得られないような場合は、前述の刀剣の意義にいう「ある程度の加工によつて刃物となり得るもの」に該当するとは常識上到底認め難い。

たとえば、装飾用、試作用等のため作られるものが、一応刀剣の形態を備えてはいるが、全然刃先をつけてなく、鋼質性ではあるが、未だ素材の程度のものや、実社会において多くの事例が見受けられるような刀剣の形態に似た鋼質性の素材に過ぎない程度のものに対し、グラインダー等の切削、研磨の機械、器具を使用すれば、七、八時間乃至十四時間位で刃先の全部または一部がつけ得られることをもつて、「ある程度の加工によつて刃物となり得るもの」として、これらを刀剣類に該当すると解することは社会通念上到底首肯することができないのであつて、この理は本件儀礼刀の場合にも通ずるものがあると思われる。

四、本件儀礼刀は、儀礼用、装飾用として製作されたものであつて、このことはその外装や、刀身の刃先が完全に潰されてあつて、素人が容易に刃をつけることができないようにしてあることからも明らかであり、刀剣の形態は備えているが、通常、人を損傷するに足りる危険性のある刃物とは認められず、全体として受くる感じは専ら儀礼用、装飾用品という感じである。

すなわち、本件儀礼刀の形態、実質、製作の目的、用途、更には人を損傷する危険性がないこと等に照らし、刀剣類所持禁止の法意が、通常、人の身体を損傷する用に供される危険性のあるものを取締るにあることに鑑みると、本件儀礼刀は法にいう刀剣類には該当しないものと信ずる。

然るに原判決は、ある程度の加工により容易に刃をつけうることが肯認されるとして、結局法に規定する刀剣類に該当すると認定されたことは失当である。<以下略>

賜金国庫債券の申請済証について

推察ですが、賜金国庫債券は1945年11月に連合国軍最高司令官総司令部によって、軍人軍属に交付された賜金国庫債券に関してこれを無効とする指令が発令されポツダム勅令として公布し無効となりました。
しかし文官など軍人軍属以外の者に対して交付された公債は有効であったため、軍人及び軍属以外の者に交付された賜金国庫債券であることを申請した際の承認を示しているのではと思われます。
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真剣の所持について

登録された刀剣類は登録証を発行した都道府県の教育委員会に所有者の名義を変更届出することで合法的に所有する事が出来ます。
当社の真剣には全て登録証が付属しており名義変更の届け出も当社で代行できますので、日本国内であれば一般の商品と同様に安心してご購入頂けます。

登録を受けている銃砲刀剣類は、都道府県公安委員会の銃砲刀剣類所持許可は必要ありません。
登録は銃砲刀剣類そのものに対してされるので、所有者に対する適性検査のようなものはありません。

猟銃などの場合と混同される方が多いご様子ですが、日本刀は文化財として扱われています。
だからどのような方が所有しているかよりも、どこにあるのかが重要になってくるのだと思われます。


余談ですが、文化財であるがゆえに海外への販売は手続きが非常に大変です。
文部科学省文化庁へ申請し輸出の制限される重要な文化財に指定されていないことの審査を受け、文化財輸出の為の書類を作成し添付しなければなりません。
個人が海外へ持ち出す場合も同様なのではと思われます。


そういえばバイオリニストの数億円の名器が公演のための海外の空港で差し押さえになったニュースがありました。
重要な文化財の問題なのか金銭的価値による税関の問題なのかよく分りませんが、輸出入は法的に多くの問題があります。

戦争が無い先進国家間においても強力な国境を感じます。
文化に国境はないとおっしゃる方がいますが、文化財には国境が強く存在します。

文化の定義とは何なのかな。

織り出しの98式襟章について

織り出しの98式襟章は昭和17年~18年頃に生産された物です。
3式襟章に比べ流通量が少ないです。

下士官の98式と3式では星の色や位置が異なっています。
星の位置は端詰めか中央揃えかという事ではなく上下位置にも差異があります。
3式の一部に98式の色の糸を使用して作られた過渡期品がありますが
星が同位置に見える曹長階級章においてもその年式の違いを判別することができます。

これは以前開業したばかりの頃にお客様に教えて頂きました。
興味深く思ったのですが、その希少性はあまり評価の対象となっていないようで残念です。

ちなみに織り出しの上等兵については98式と3式を判別することはできずにおります。
同一なのかもしれません。
私が当時に決定権を持っていたとしたら3式の上等兵襟章は98式の物を継続生産します。

しかし物資が不足していたと言われる大東亜戦争後半に、
なぜほとんど差異のない曹長階級章の星の色や上下位置を変更して作り直したのでしょうか。
私にはそれが物理的理由だけとは思えません。

そう考えるとひょっとしたら上等兵にも僅かな差異があるのかもしれません。

現在98式の下士官用襟章を出品していないので比較をして頂くための資料画像をご提供できなくで申し訳ございません。
98式の下士官用織り出し襟章は数が少なく珍しいですが、存在しています事をお伝えしたくこの記事を書いています。
お心当たりのある方は確認してみて下さい。

私は収集家ではなく、歴史資料の消失を防ぎたく大切にして下さる方への橋渡しを無知なまま行っています。
商品説明を書こうとする度に知らないことが沢山あることを思い知ります。

軍装品が単なる規格品の大量生産ではなく、手間とコストをかけて多岐に渡っている理由は
失われた日本人の精神性の一端を垣間見せているように思います。

敗戦によって失われた日本人の誇りを伝えたいと願う私へ皆様のご指導を賜れましたら幸いです。

軍装品は日本人が民族の存亡をかけて作られた物です。
軍装品には日本人が決して失いたくなかった精神が込められていると思うのです。

憎しみや軍国主義などではなく、美しい伝統文化の思想がそこにあると思います。


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国境事変従軍記章

国境事変従軍記章は当時の日本で作成された物と満州で作成された物があると言われ、
確かに僅かに彫刻に違いのある2種類の物が存在します。

どちらかが複製という事ではなくどちらも当時の実物です。
素材や品質の差は見受けられません。

満州の物の方が数が少ないと言われ価値が高いとされています。
しかしその章の彫刻の差異は僅かであるので当社では大きな評価差を付けていません。
されど差異があることが分かっているため、あえて分けて注釈にどちらで作られた物か表記しています。

満州国から日本将兵へ授与された記章のため満州国の勲章記章へ分類される場合が多いですが、
多くの日本将兵が従軍記章と同様に佩用していた様子から、当社では日本の従軍記章へ分類しています。

とは言え勲章記章の配列順は定説と異なる場合が多々あり、更なる調査と考察が必要です。

勲六等旭日章・箱書き銀字品の時代特定について

旭日章は明治10年頃から平成初期まで勲章本体や綬の意匠がほとんど変わっておりませんので、時代の特定は困難です。
勲章類について様々調査をしておりますが、旭日章の時代を特定する公式な資料や研究論文等を拝見した事がございません。
よって勲六等旭日章・箱書き銀字品が「第二次大戦当時の旭日章で間違いないか」という問いに対し「間違いない」とは申し上げることはできません。

私感と致しましては勲六等旭日章・箱書き銀字品は金鵄勲章の前期・中期・後期と大別される後期の物と同様の箱の特徴を持っています事から昭和前期頃の物と推察されます。

瑞宝章は時代により僅かな意匠の違いがあり、ある程度の時代特定が可能ですが、ほぼ金鵄勲章と同様な箱の時代特性を持っています。
しかし瑞宝章の箱書きは昭和後期にも銀字の物があり、旭日章においては勲章本体の意匠が同じであるため、昭和後期に瑞宝章同様の銀字の箱書きの物が存在すると仮定したならば、その時代判別は極めて困難です。
瑞宝章では新しい物に文字が若干太いものがありますがその差は0.1㎜程度であり、また個体差があるため確証を得るには至りません。
昭和初期頃の物と全く同じ箱書きの昭和後期品も存在しています。

また旭日章が金鵄勲章や瑞宝章と同じ時代特性を持っている可能性は高いと思われますが確証はございません。

勲六等旭日章・箱書き銀字品は現在出品している昭和15年の勲六等旭日章の勲記と勲六等旭日章・箱書き銀字品は対ではありませんが、他の旭日章の勲記の在庫を見ると昭和15年の物が多く、この年は皇紀2600年に当たることから、旭日章がこの年に多く叙勲されたのではと推察することもできます。
よってこちらは「第二次大戦当時の旭日章」に最も近い物と推察されますが、昭和16年12月から昭和20年8月の約3年半の間の物ではない可能性がございます。
満州事変頃の物かもしれませんし戦後間もない頃の物かもしれません。
前期の通り昭和後期の物である可能性も否定できません。

当社に勲六等旭日章の箱書きが銀字の物が複数あり、文字の太さが異なっていますが箱内部に差異は発見できませんでした。

当社における1,000個に満たない程度の勲章による考察や推察では誤っている可能性もございます事をご了承下さい。
結論のない稚拙な内容で失礼致しました。

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陸軍三式軍服将校用について

昭和18年式制三式軍服は兵下士官用においてはサイズを6種から3種へ減らすなどの簡略化が目立ち、物資不足による改正の印象があるが、将校用においては階級章の大型化や袖章の追加など九八式よりも華美な物へと進化している。

興味深いのは、袖章にて階級を示す新たな方法は海軍の1種軍装と発想が似ており、また襟階級章も星章を中央から端へ変更したがこれは海軍の階級章と同じ方式である。

この頃海軍の新兵は4等水兵であったが陸軍の新兵が2等兵であることに合わせ2等水兵からスタートするように制度改正を行い陸軍が見ても解りやすいようにと階級章のデザインも変更された。

古くから仲が悪くて有名な陸軍と海軍であるが、総力戦に向けて双方の優れた部分は認めて受け入れ歩み寄った結果が陸軍三式将校用軍服に表れているように思えてならない。
実際に南方諸島では海軍が守備しているところへ陸軍部隊が増援され共に戦った所が多数ある。
日本が一つに団結し国難に対決した時代の証人なのではないか。

末期はなんでも物資不足でそのための改定であり何でも粗悪というパラダイムでは真実を感じることはできない。
人間も苦しい時こそその人の人格が現れるものである。
日本を知りたければ日本が苦しい時代を正しく考察することが大切であると思う。

プロフィール

someyagunsoh

Author:someyagunsoh
代表取締役社長 染屋雅俊

1965年4月27日生
千葉県佐倉市出身

略歴
陸上自衛隊
慶應義塾大学 文学部
元進学塾・予備校教師
教育コンサルタント
[7Habits]公認講師

大叔父は海軍上等兵曹染屋雄三
横須賀第二陸戦隊所属。海軍第五根拠地隊司令部付。
昭和19年7月サイパン島にて玉砕。

青春を護国に捧げ独身のまま戦死した子孫のいない大叔父の孫として生きる。

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