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美術と健康

1947年に採択されたWHO憲章では、前文において「健康」を次のように定義しています。「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。」
 健康における肉体的・精神的・社会的の3点に芸術及び美術がどのように関係しているのか考えてみたい。

 肉体的には、イギリスで行われた調査によれば、芸術的活動を「全く行わない人」に対し「年に1、2回は参加する」群は死亡リスクが14%低く、「2、3カ月に1回行う」群は「全く行わない」群より、およそ31%低いことが報告されている。

 精神的には、芸術とは、表現者(作者・演者)・表現物(作品)と鑑賞者が互いに働きかけたり、影響を与えたりすることで、感覚的・感情的・精神的な変化・動き・作用を得ようとする活動であると定義されていて、言うまでもなく最も影響の大きい部分であろう。

 社会的な観点では「美術」には興味深い点がある。それは美術は他の芸術の分野とは異なり、表現者と鑑賞者が同じ場所に同時に存在する必要がありません。美術作品は時や場所を超えて存在することができます。公共の場所や個人のプライベートスペースにも。美術は地域社会や個人の精神に永続的に影響を与え豊かにできる芸術であると言えるでしょう。
 つまり優れた美術作品を提供することは、人々の健康に貢献することであると言えるのではないでしょうか。

博物館経営のための資源

経営の基本資源は「ヒト」「モノ」「カネ」であるが、近年ではさらに「情報」「時間」「組織文化」が重視されている。

「ヒト」とは博物館で働くスタッフはもちろんだが、利用者やボランティア・友の会メンバーなども経営資源である。広く情報を提供し課題や問題の共有に努め博物館の活性化に貢献してもらえるようにする。

「モノ」とは収蔵品だけでなく、建物や設備、土地や周辺環境も経営資源である。

「カネ」博物館が生み出す収入は財源の2割弱程度である。残りの大半は公金や親企業の資金で運営されている。厳しい財政環境の中では自らのファンドレイジングなどの活動が求められる。

「情報」博物館はそもそも情報発信の場であることから、停滞や遅延は経営に大きな影響を及ぼす。

「時間」人材育成には時間が必要である。また展示やそのための収集のタイミングは経営に影響を及ぼす。

「組織文化」固有の共通の価値観、行動様式、思考方法などを組織文化と言う。博物館の活性化に重要な経営資源となる。

博物館経営の理念

 博物館は人間個人と同様に社会の関係の中で存在している。社会や地域から博物館の存在価値が認められなければ存在する必要がない。継続的に価値のある存在となるためには経営理念を確立する必要がある。
 経営理念は何を目的に事業活動するのかを自己規定するものであるが、博物館においては地域社会に対しどのような貢献ができるのかという社会的役割が重要なポイントである。

昔に少し関わった茅ヶ崎の養浜について

私が住む茅ヶ崎の海岸を含む相模湾沿岸は広域にわたり海岸侵食が問題となっています。
茅ヶ崎海岸も相模川のダム整備や河川改修が進んだため、土砂供給量が極端に減少したことや防波堤などの構造物による沿岸漂砂の遮断などの理由から昭和50年中頃から砂浜が著しく侵食されはじめました。
特に茅ヶ崎中海岸地区は50年間で50メートルの汀線が後退した侵食の顕著な箇所です。
このように侵食が進むと砂浜がもつ自然の海岸保全の機能が損なわれるとともに、海洋レジャーや地曳き網漁にも支障が生じてしまいます。

茅ヶ崎中海岸は砂浜が減少しているため、ヘッドランドの整備とともに養浜などの対策を実施しています。
しかしこのヘッドランドには様々な問題があります。
そもそも茅ヶ崎地域の砂の減少の原因は相模川からの土砂供給量が極端に少なくなったことに加え、漁港やヘッドランドなどの海域構造物による沿岸漂砂の遮断のためだと言われています。
またヘッドランド周辺は複雑な離岸流が発生し事故が多く発生しています。

サーフィンの盛んな茅ヶ崎では海岸の安全性にも十分な配慮がなされなければなりません。
茅ヶ崎では人工構造物に頼らない養浜を模索し多くの土砂を運搬投入てきましたが、海岸の砂は異なる地域から移植しても定着しない性質があり根本的な解決には至っていません。
今後はより自然に近い形で砂が付くよう、ダムの堆積土砂を海岸に運搬するのではなく、相模川中流に置砂し、川の自然の流れに任せて海まで流す山・川・海の連続性を考慮した「相模川流砂系総合土砂管理計画」が国、神奈川県、山梨県の関係機関で構成する協議会によって平成27年度に策定されました。

この茅ヶ崎発の方法が成功事例として各地へ浸透すればコンクリートの護岸に頼らない美しい海岸が日本中によみがえるのではと私は期待しています。

博物館と共栄のために(序)

キュレーターは歴史の勉強ばかりしていて、脳が江戸時代に侵食されているようだ。
学士様は商人をひどく馬鹿にしている。

このことについての詳細は日を改めて書こうと思う。
要はキュレーターは資料がマーケットに流出すると価値がなくなると考えている。
しかし弊社は、マーケットを利用して戦争遺品を後世に伝えようとしている。

キュレーターは我々に死んで欲しいと願っているようだが、私は博物館等の公的機関と共栄し、不足を補い、より資料の保護を盤石にしたいと考えている。

私は学芸員資格を持っている訳ではないが、今は便利な時代なので実習以外の学芸員科目を全て履修している。
使命を持って業を企てる私を、転売屋のごとく捉えることは遠慮願いたい。

最下層と卑下される商人目線で、キュレーターが苦手な経営を中心に博物館について何回かに分けて論じたいと思う。
今回は序章である。

 博物館は、人類の知的・文化的資源を将来へ継承する使命を持っている。この使命を全うするためには、博物館をいかに維持・存続・発展させるかが重要な課題である。
 博物館はその存在意義が社会性と共に事業性の面からも厳しく問い直されている。効率性や採算性の追求による統廃合や民間への業務委託なども進んでいる。このような厳しい経済状況の中において,博物館を維持・存続・発展させるためには、博物館職員の経営意識を高めることが重要である。
 しかし学芸員資格を取ろうと考える学生の多くは,専門分野のエキスパートであるがゆえに経営や経済に関する授業をあまり履修していない。基本的な経営学の知識も,民間就職経験も無い学芸員が,社会情勢を把握しながら経営学的知識を自力で取り込むことは非常に難しい。博物館は近年,展示中心から,地域の中核となるような情報発信,地域教育の場としての新たな役割も強く求められてきている。このように多様化高度化する中で、社会の経済状況や時代のニーズやトレンドを学芸員が経営学的視点でとらえられるようになるための基礎知識が必要である。
 また、経営の要は顧客主義である。博物館においても利用者の楽しみ、満足や感動を創出する運営こそが大切であることから、経営を学ぶ意義は大きい。

衣類の管理状況について

衣類の管理状況についてお問い合わせがありましたので簡単にではありますがお伝えします。
上着やコート類は密閉されていないが直射日光のあたらない通気性の良い場所に木製ハンガーで吊るして保管しています。
蛍光灯は通常の物で紫外線対策はなされていないため最小限の照射にとどめるように注意すると共に退色が懸念される生地には和紙のカバーを装着します。
室温は18度~30度、湿度は55%~65%の範囲で通年エアコンで管理しています。
殺菌はシャープのプラズマイオン大型空気清浄機2台を常時稼働、及び次亜塩素酸ナトリウムの噴霧を行っています。
防虫はピレスロイド系薬剤噴霧を断続週30時間程度。パラジクロロベンゼンの使用は一部密閉保存された衣類を除き出荷時のみです。

指揮刀は銃刀法上問題ないのかと質問を受けました

指揮刀の所持は合法です。
これは最高裁で判断された判例があります。
以前ご説明した方がそんな都合の良い話は信用できないとおっしゃっていたので判例を貼っておきます。
知人の司法書士によると有名な判例だそうで法律系の資格試験でよく出題されたことがあるそうです。

最高裁判所第一小法廷 昭和41年(あ)2952号 決定
<前略>
一、銃砲刀剣類等所持取締法において取締対象とされている刀剣類とは、社会通念上、刀または剣等のそれぞれの類型にあてはまる形態と実質とを備えている刃物を指称するものと解するのを相当とし(昭和三一年四月一〇日最高裁判所第三小法廷判決参照)、また、刀の形態を備えていても、その実質すなわち(一)鋼質性材料をもつて製作された刃物、(二)または、ある程度の加工により、刃物となり得るものであることを備えていないものは、法にいう刀剣類にはあたらないと解すべきものと思われる(昭和三六年三月七日最高裁判所第三小法廷判決参照)。

換言すれば、鋼質性材料をもつて製作されたもので、刀剣の形態を備えているものであつても、それが通常、人の身体を損傷する用に供される危険性があるものでなければ、社会通念上刃物とは認め難く、また、それが通常、ある程度の加工によつて刃物となり得ないものはこれまた刃物とは認め難く、このようなものは結局法にいう刀剣類にはあたらないのである。

二、ところで、本件儀礼刀は、鋼質性材料をもつて製作されていることは認められるが、押収にかかる本件儀礼刀そのものの観察によつて明らかなように、その刃先は相当の厚味をもつて危険性のないようにすべて潰してあり、刀身全体に刃はつけてないのである。この儀礼刀はもともと装飾用、儀礼用として製作されたものであるから、製作の際危険性のないように刃先を潰してあるのであつて、勿論、これにある程度の加工を加えて刃物とされるだろうとの意図があつて作られたものではなく、このようにわざわざ危険性のないように刃先を潰して作つてある儀礼刀は、社会通念上刃物とは到底認め難いのである。

三、次に、この儀礼刀が、ある程度の加工によつて刃物となり得るかどうかの点について、第一審鑑定人徳永勲、宮崎豊作成の鑑定書によると、本件儀礼刀に刃をつけるには、電動式グラインダーを使用して切削した後、砥石を使用して研磨すれば、その所要時間は約七、八時間であり、また、電動式か手動式のグラインダーを使用せずして、平ヤスリを使用して切削した後、砥石で研磨すればその所要時間は約十四時間と考えられるとのことであるが、この鑑定書のとおりであるとしても、一般世人が通常考えられる手近かな方法によつて加工するとして、決して短時間に容易に刃をつけ得られるものでないことが認められる。

鑑定書記載のような一般世人が容易に入手使用のでき難い特別の機械器具を用いても、なおかつ七、八時間乃至十四時間位も加工しなければ刃がつけ得られないような場合は、前述の刀剣の意義にいう「ある程度の加工によつて刃物となり得るもの」に該当するとは常識上到底認め難い。

たとえば、装飾用、試作用等のため作られるものが、一応刀剣の形態を備えてはいるが、全然刃先をつけてなく、鋼質性ではあるが、未だ素材の程度のものや、実社会において多くの事例が見受けられるような刀剣の形態に似た鋼質性の素材に過ぎない程度のものに対し、グラインダー等の切削、研磨の機械、器具を使用すれば、七、八時間乃至十四時間位で刃先の全部または一部がつけ得られることをもつて、「ある程度の加工によつて刃物となり得るもの」として、これらを刀剣類に該当すると解することは社会通念上到底首肯することができないのであつて、この理は本件儀礼刀の場合にも通ずるものがあると思われる。

四、本件儀礼刀は、儀礼用、装飾用として製作されたものであつて、このことはその外装や、刀身の刃先が完全に潰されてあつて、素人が容易に刃をつけることができないようにしてあることからも明らかであり、刀剣の形態は備えているが、通常、人を損傷するに足りる危険性のある刃物とは認められず、全体として受くる感じは専ら儀礼用、装飾用品という感じである。

すなわち、本件儀礼刀の形態、実質、製作の目的、用途、更には人を損傷する危険性がないこと等に照らし、刀剣類所持禁止の法意が、通常、人の身体を損傷する用に供される危険性のあるものを取締るにあることに鑑みると、本件儀礼刀は法にいう刀剣類には該当しないものと信ずる。

然るに原判決は、ある程度の加工により容易に刃をつけうることが肯認されるとして、結局法に規定する刀剣類に該当すると認定されたことは失当である。<以下略>

コロナ禍の小学6年生が校長先生へ直訴する話

珍しく小6の三女が私に力を貸してほしいという。

コロナで運動会も修学旅行も実施が危ういので6年生としては何か思い出になるような別の学校行事を企画したいと言う事で『学校キャンプ』を提案するそうだ。

なぜかうちの三女が校長に直訴のプレゼンをするそうなのだが、ただ何かやりたいだけでは説得できそうにないので知恵を貸してほしいとの相談だ。

ちょうど長女の教育課程論で教育カリキュラムには『個人』『社会』『現在』『将来』の視点が必要なんて論じたばかりなので、三女の企画に足らないものと合わせて5年生の林間学校との相違点など考えてみる。

加味する点は『将来』と『社会』の価値、そして自然ではなく学校に宿泊する意味。

ははぁ~お父さんひらめいちゃいました。

災害時の避難所生活体験を盛り込めばよいじゃん。

今、感染症対策をしながらの避難に社会の注目が集まっている。小学生が避難所宿泊の体験学習を実施する社会的価値は高い。そして子どもたちはこれからの新しい社会を生き残る力を身に付けるだろう。

 

この企画が世に広がった際は発案者はうちの三女と言う事でよろしく。TVに出たいそうなんで

金銭損得とは違う価値

大学から送られてくる難しい定期刊行物が未読で山になっている。
年末なので嫁に見つかりリビングへ。
捨てろと無言の圧力。
渋々手に取っていると高校1年生の次女が
「あっ父さんが更に教養を深めようとしている!」と茶化す。
 
ちょっと真面目に次女へ話す。
「このような難しい本とは不思議なもので、お母さんの様な一般の多くの人には全く価値の無い物だけど、父さんにとってはその英知は金銭では計れないものすごい価値があるんだよ」
ちょうど山の中に「文学は社会の役に立つか?」というテーマで高校生が書いた論文が収録された本があった事を思い出し探して次女に渡す。
 
損得ではない価値がわかるかな?
高校受験の時に学校選びの着眼で図書館の蔵書を重視していた次女に期待。
 
次女が一言。
「バイトをするようになって、色々な大人の人と接して知れば知る程お父さんの凄さが身に染みるよ」
 
 
読ませたいお勧めの本はもう買ってあるから、急いで読んで渡すね。
簡単で面白いやつだよ。
 
本当は社会とは何かを考察する際に写真の本とかも読んで欲しい。
というか父さんはこんなものも仕事柄手元にあるので考察が深いのだよw

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大学のレポート作成が楽しい!!

少し前の話題ですが長女が大学の初めてのテスト期間になり、予想はしていたがやっぱり泣きついてきた。

教職関係科目のレポートは、教育の理想論をぶちかませるので楽しい。
前職で講師研修をしていた頃を思い出す。

さらに楽しかったのは哲学。
事前に知らされた課題は、「存在論の起源とデカルトの立場を論じろ」と言うもの。

起源としてのアリストテレス第一哲学からプラトンの二元論。それをデカルトと対比して心身二元論を説明し、立場の視点はデカルトの自然科学的なアプローチについてをアリストテレスの「第二哲学」に絡めた話を伏線回収的に書いたら良いじゃん。

ああ楽しい。

長女にとっては学校の試験は第一領域だろうが、大人から見たら学生はとことん第二領域に集中した生活だなぁと羨ましく思う。

長女の世話は自分ではなかなか確保できない第二領域を強制してくれるので人生が豊かになってしまうなぁ。

ところでこの時間管理のマトリクス用語は一般の共通言語として使用して大丈夫なのかな?

先日長女の大学の学祭へ嫁や次女・三女と総出で行ってきた。

展示や体験が楽しい理系の校舎へ行ったら偶然長女の「美術学」の教授2名と会った。
1階のロビーに理系以外にも各学部がブースを出すスペースがあって、今年は当番だそうで塗り絵コーナーをやっていた。
なんと贅沢w
美術学の教授は3名なのでもう1人のY教授は?と尋ねると、はるか彼方の校舎の地下の受験生相談のコーナーに1人でいるからぜひ訪ねてやって下さいと言う。w
Y教授は長女が受験の際に最初の説明会でお会いした方で、その時は本命ではなかった「古典美術」に舵を切るきっかけとなった印象深い方だ。
ただその後の入試指導などで何度か大学に足を運んだ際あまり会う機会がなかった方なので、入試相談会場で職務中のところを無目的に訪ねていくのはいかがなものかと思った。
その後私は次女と理系の学部のアカデミックな展示を楽しみ、嫁と三女は飲食へ。
理系の展示を一通り観てそろそろ別の校舎へ移動しようかと嫁に電話をすると、あろうことか塗り絵をしているという。
仕方がないので塗り絵ブースへ行くとT教授が「Y教授には会われましたか?」と言うので「あれからずっと理系の展示を観てまして、これから行きます」と思わず回答してしまう。
 
その後嫁と娘たちは漫研で似顔絵を描いてもらうと言う。
私はナルシストではないので1人で入試相談会場へ行ってみるとY教授は相談者もなくぼんやりしていた。
目の前に立っても気付かない。
声をかけたら一瞬驚かれたが名乗ったらすぐにわかってくれた。
「やあ久しぶり」と随分フランクだ。
退屈だったのか。私が受験生の保護者という立場ではなくなったからか。
相手が懐を開けばそこの潜り込むのは私の得意技だ。
10秒で再会した旧友だ。

どのくらい話したかな。体感的にはほんの一瞬だ。
教授は娘を「染屋」と呼び捨てにするから、旧友と話しているようなトリップ感が凄まじい。
お互いかなり無礼寄りのフランクw
気持ち悪いくらい話が弾む。

学生スタッフに相談希望者がいるから雑談はやめてくださいと追い払われるw
教授は「じゃあまた」と言い別れる。

 
Y教授はとても興味深い男だ。
ここはテニスならば一気にネットに出てボレーを決めて友人になるところか?
嫁に話すと「お父さんが教授と友達になって喧嘩して娘が退学なんて嫌ですよ」と言う。
 
私は利害関係がある人とは友人にならない主義だ。
しかしなんとも面白い。
ああ面白かったでも十分かもしれないが、如何なものか。
 
 
リップスティックを作るブースの理系の大学院生が以前私と雑談したを覚えていて話しかけてきた。
面白いお父さんに会ったと教授にも話したんですよなんて言う。
こっちも友達になれそうかもねw
なんだか娘の大学は波長が会う感じがして居心地が良く楽しい。

電話好きの年配者がビジネスマンにどう思われているか。という話

とあるビジネス記事の引用。
私もコンサル会社でビジネスマンとして躾けられたのでほぼ同意見です。
まぁ当事者には伝わらないんだろうけどね((´;ω;`)
また憂鬱な日々が始まる。。。。。


ホリエモンこと堀江貴文が、電話嫌いであることは有名だ。
突然かかってくる電話にいちいち応対していたら、自分の仕事が中断されて、リズムが崩れるし、メールをもらえれば一瞬でわかるような用事でダラダラ電話されれば、貴重な時間が奪われる。
「電話をしてくる人とは仕事をしない」と徹底している。

ホリエモンの言い分には、私も完全に賛同する。
電話する必要がないような用事で電話をかけてこられて、自分の時間が奪われるのが、とにかく腹立たしい。

メールでコミュニケーションできないのは、思考が整理されていない証拠。
つまり、伝えるべきことを適確に伝えるのがヘタなのだ。
電話は仕事のできない人間がするものであり、そんなヤツらに、仕事のジャマをされたくない。

「ホリエモンのような考えは極端であり、世の中の多くの人間はそう思っていない」

と考える人もいるかもしれないが、30代以下の世代は、幼少からメールやLINEなどの文字でのコミュニケーションに慣れているので、電話は必要最小限しか使わない人は多い。

どうでもいい用事で電話をかけてくるような人に対しては、いまの若者は嫌悪感を示しても不思議ではない。
仕事で無神経に電話をかけまくっている人は、陰で「使えない」というレッテルを貼られているかもしれないので、自粛したほうがいい。

出典:成毛眞著『一秒で捨てろ! 人生がときめく「逆転の整理術」』(PHP研究所刊)

次女の夏休みの課題

次女の夏休みの課題で戦争映画を観て感想文を書くというものがあった。
「ライフ・イズ・ビューティフル」を勧め共に観る。
意外に思うかもしれないが、心理学を専攻しフランクルを敬愛する私としては迷わず一択。
 
次女は何を感じただろうか?
タイトルの意味を考えて欲しいと思う。

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娘が死について考える

三女が大切に育てていたハムスターが逝ってしまった。
この種類のハムスターの寿命は2年~2年半だそうだ。
2年3か月。
ちょうど平均値。
まるでタイマーがあるかのように小さな命は止まってしまった。

写真はハムスターが2歳の誕生日。
三女が色々調べてハムスター用のケーキを作った。

もう次は無いだろうと覚悟はしていた。
 
 
家のペットではなく三女の家族。
三女の誕生日プレゼントとしてやってきた。
我が家にやってきた初めての動物。

我が家で一番チビだった三女がこの日からは、お世話をされる人からお世話をする人に。
ほとんどすべてのお世話を三女がした。

本を買ったり図書館で調べたり、体重を量って食事を管理して遊ぶ時間も決めてストレスに注意して・・・

三女はお姉さんと言うよりはお母さん。
本当に大切に育てていた。
1日でも長く一緒にいたいと願っていた。
 
 
 
三女と話をした。

苦しむことなく寿命まで生きてきっと幸せだったよ。
長く生きれば幸せなのかな?
三女は迷わず言う。
「幸せは時間の長さじゃなくて、どれだけ愛されたかで決まるんだよ。」
ならば父は迷わず思う。
幸せだったよ。
君の愛はきっと伝わっていたよ。

天国に行けたかな?
ハムスターの天国ってどんな所だろう?
寂しくはないかな?
お母さんや姉妹に会えて一緒にいるかもしれないね。
一番長生きしてみんなが待っていたかもね。
 
 
 
もうハムスターは飼わないという。

違うハムスターは来夢花ちゃんじゃない。
違うハムスターを飼ってだんだん来夢花ちゃんを忘れて行ってしまうのは嫌だ。

人生で初めての気持ち。
もうこんな気持ちになりたくないと言っていたけど、
このつらい気持ちをも大切にしたいと思ったのだろう。
 
 
また一番チビに戻ってしまったね。
元気が出るまで父さんがお世話をするね。



弊社の商品に動物の毛が付いていた場合、それはペットではなく防寒服や飛行服の毛皮が脱毛したものです。
事務所や倉庫はもちろん、自宅にも犬猫はいません。

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コレクターはたくさん持っていれば偉いのか?

軍装品をゴミの様に積み上げて大量に持っていることを自慢している人がいる。
それを羨んでいると思われる人たちがいる。

私は生まれも育ちも貧乏でコレクションを趣味としたことがないのでわからないが、
コレクターはたくさん持っていれば偉いのか?

私は物に愛情をもって大切にする人がコレクターなのだと思う。
数個しか持っていなくとも大切な宝物であれば立派なコレクターだろう。

数が多くてどこに何があるのかよく分らないなんて言う愛のない言葉が自慢になるのは悲しい。

まして軍装品は単なる物ではない。
そう思う。


捨てられてしまうよりはマシだが・・・・

お値引きについて

お値引きにつきましては全てのお客様にご遠慮頂いております。
弊社では皆様に公平に対応することが誠実であると考えております。

たくさん買えば安くするとか。下取りなら高く買い取るとか。
リピーターなら優遇するのに、相場が分らないご遺族は買いたたくとか。

このような判断は公平ではなく弊社では誠実ではないと考えます。
弊社は常に英霊に感謝し英霊に恥じない行動をとらなければならないと思っています。

現代の日本人が享受する平和と幸福のために、戦争の時代に大変な御苦労をなさった方々のことを伝える品物を不誠実に扱う事はできません。

ご理解賜れましたら幸いです。



以前もこのような記事を書いた気がしますが値切りが後を絶ちませんので違う形で書かせて頂きました。

「社会の役に立つ」とは何か①

先日機会があって「文学は社会の役に立つか」というテーマの小論文を読む機会があった。
文学好きが文学愛を語るものが多い中、「障碍者は社会の役に立たない」と言う理由で殺害をした事件を引き合いに出しているものがあった。
その論文は「社会の役に立つかと問う社会を問う」というテーマのもので着眼が面白いが、私にとって充分な結論を得るものではなかった。
「社会」を明確に定義して納得ができなければ何を論じても意味がない。
そんなことをモヤモヤと考えていた私にひとつ興味深い話があった。

それは「弱者を税金で生かしているのはどうしてなのか」という問いに対するネット上での回答である。
この問いは、世の摂理は「弱肉強食」であって、それが進化や種の繁栄を支えているのではないか。
という優性保護的な考えに基づいている。

私の解釈を加え要約すると以下のような内容である。

実際の自然界は「弱肉強食」ではありません。
弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません。
現実に虎は兎より強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています。

自然界の掟は、種のレベルにおいては「適者生存」です。
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、最終的に必ず死に「喰われ」にます。
なので個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません
ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです。
10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、2年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります。

「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります。

「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです。
必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります
「適応」していれば、強いか弱いかは関係ありません。

人間の生存戦略は、、、、「社会性」
高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する。
長期の生存が不可能な個体も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です。

どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の”弱者”を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します。
人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました。

「優秀な遺伝子」というものは無く、あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です。
遺伝子によって発現されるどういう”形質”が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です。

現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません。
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンを抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるのです。

アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいないといってよいでしょう。
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです。
その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なのです。


頭良さそうに見えないというご意見を頂いたので、今回はちょっと知的なお話でした((笑)

秘密結社

今日は日本のフリーメイソンと噂される団体の地元支部の総会へ出席します。
日本の政治経済の裏事情に詳しい方なら察しが付くかと思います。
質問にはお答えできません。

先月この団体に少し触れた本が出てたけど出版社大丈夫かな?w

今日はセンター試験初日

うちの高3の長女も朝5時起きで参戦しました。

うちはもう志望大学の合格が出ているのですが、高校の熱血H先生の方針で大学進学者は強制全員受験とのことです。

受験料を払わされ嫁は激怒しています。

しかし昨夜、小学生の三女に「鉛筆削りと文字の入っていないHBの鉛筆を貸してくれ」とか「父ちゃん腕時計を貸してくれ」とか、ちょっと緊張して準備をしている姿を見ると、まあセンターを受けさせようとする高校教師の意向もわからなくはない気がしました。

評定平均が4,5を超えるが高校の指定校推薦に希望大学の学部がないためセンター『ガチ』受験の親友のお供で、2人で会場に行くようです。

親友の助けになるのであれば、金を払った意味もあるというものです。
娘の親友の健闘を祈念しています。

さて私は今日一日、塾へ通わせていない中3次女の受験指導です。
残り約3週間。
毎日早めに帰宅します。
悔いの残らぬように出来る事は皆やろうと決意しました。


夕方に迷惑な長電話が来ないことを祈る。

韓国関係の方はご遠慮下さい

中年女性らしき方からお電話を頂きました。
「ちょっとそちらのお店に行って色々見せてもらえるかしら?」
店舗ではないので展示はしていませんよと伝えると、
「知り合いの韓国の方がかなり大量に買う予定なんだけど」

大量に買うと言えば欲に目がくらんで優遇するとでも思ったのか?
恥ずかしい価値観な奴。

理念を持って日本の戦争資料を扱う当社が、大量に『韓国』へ売る訳がない。
少量でも韓国関係の方はご遠慮下さいますようにお願い申し上げます。


儲かれば海外でも誰にでも売る「あの奴」が喜んで売るんだろうねぇ。
欲深い売国奴のせいで近々日本の軍装品が反日活動に使われて大量に失われます。

敵兵を救助せよ

2003年10月26日、海上自衛隊の観艦式(かんかんしき)に参列するために、一人の老紳士がイギリスから来日し、初めて日本の土を踏みました。
老紳士は、84歳という高齢に加え、心臓病を患(わずら)っていました。
彼の名は、サムエル・フォール。
彼はサーの称号(しょうごう)を持つイギリスの外交官でした。
彼には、どうしても日本を訪れたい理由があったのです。
「自分が死ぬ前に、どうしても一言お礼をいいたかったのです。この歳になっても、一度として彼のことを忘れたことはありません」

案内された海上自衛隊護衛艦「いかづち」(四代目)の艦内で、フォール卿は艦長以下、関係者たちにしみじみと語り始めました。
あの61年前の壮絶(そうぜつ)な真実を…。
それは、戦後の長きにおいて日本人の誰もが知らなかった、戦場の奇跡の物語でした。

その物語は、太平洋戦争が勃発(ぼっぱつ)した翌年の1942年(昭和17年)2月28日、ジャワ島北東部のスラバヤ沖で起こりました。
当時の戦況は日本が圧倒的に優位で、イギリスをはじめとする連合艦隊は連日、猛攻撃を浴び、当時少尉だったフォール卿の乗るイギリス海軍駆逐艦(くちくかん)「エンカウンター」も日本海軍の戦闘艦に包囲されていました。
そして、砲弾が船に命中しエンジンが停止、そして炎上、海に沈みました。
救命ボートで脱出したフォール少尉たちにとって、本当の地獄はここからでした。
船からもれた重油が目に入り、多くのイギリス兵が、一時、目が見えなくなってしまったのです。
友軍のオランダ軍が助けに来てくれると信じて、海に漂って待っていたのですが、夜が明けても助けは来ません。
すでに漂流から20時間近くたっていました。

その時、突然前方に船が現れました。
希望の光が降り注いだイギリス兵たちは、声を限りに助けを求めましたが、それはあろうことか、日本の戦闘艦だったのです。
日本海軍の駆逐艦「雷(いかづち)」(二代目)でした。

その海域は、潜水艦が出没する最も危険な水域だったので、最高度の警戒体制をとりつつ、イギリス兵を発見したのです。
ざっと数えると400名あまりのイギリス兵。
これは、雷の乗組員220人のおよそ倍の人数です。

絶体絶命のイギリス兵たちは、日本の駆逐艦から機銃掃射されると、最後の瞬間を覚悟しました。
そのときです、雷(いかづち)の工藤艦長が下した決断は、「敵兵を救助せよ!」

「敵の潜水艦に攻撃されるかもしれない」、「救助したとしても自分たちの倍の人数の敵兵に襲われはしないか」、と部下から「艦長は正気なのか」との声も出るほどのありえない決断です。
工藤艦長はある信念を貫きました。
それは、工藤艦長が海軍兵学校の頃から教育された「武士道」でした。
「敵とて人間。弱っている敵を助けずしてフェアな戦いはできない。それが武士道である」

世紀の救助劇はこうして始まりました。
しかし、甲板から縄梯子(なわばしご)をおろしても、衰弱しているイギリス兵の大半は自力で上がれなかったのです。
その報告を受け、工藤艦長は第二の大きな決断をしました。
「一番砲だけ残し、総員敵溺者(てきできしゃ)救助用意」
それは、日本海軍史上、極めて異例な号令でした。
「最低限の人間だけ残し、後は全員救助に向かえ」という命令だったのです。

もはや敵も味方もありません。
イギリス兵も秩序を守り、負傷者、士官、下士官、兵の順で艦に上がってきました。
甲板上では、日本兵にとっても最も貴重な真水や食料を惜しみなく与えました。
そして、その後も、戦闘になった時に燃料が足りなくなる恐れを押して、救助のため船の停発進をくりかえし、遠方にいた漂流者をも救助させました。
「漂流者は一人も見逃すな」との艦長の断固とした命令のもとに。
結局、救助者の総数は422名となりました。

そして、イギリス士官のみを甲板に集め、工藤艦長は端正(たんせい)な敬礼をし、流暢(ちゅうちょう)な英語で次のような言葉を発しました。

「You have fought bravely.(諸官は勇敢に戦われた)」
「Now,you are the guests of Imperial Japanese Navy.(諸官は日本海軍の名誉あるゲストである)」

翌日、イギリス兵たちは、ボルネオ島の港で、日本の管轄下にあるオランダ病院船に捕虜として引き渡されました。
フォール少尉は終戦後、自らの人生を「マイ・ラッキー・ライフ」という一冊の自伝にまとめ、その一ページ目にはこう書かれています。
「この本を私の人生に運を与えてくれた家族、そして私を救ってくれた大日本帝国海軍少佐、工藤俊作に捧げます」と。
フォール卿は、工藤艦長への感謝の念をずっと忘れず、自分が死ぬ前に、誇り高き日本人である工藤艦長にぜひお礼がいいたいと、日本を訪れたのです。

しかし、多くの部下や戦友が亡くなったショックからか、終戦後、工藤艦長は一切戦友と連絡をとらず、ひっそりと余生を過ごし、1979年1月、77年の生涯を終えました。

自らのことを一切語らず亡くなった工藤俊作。
この物語は、フォール卿が来日しなければ誰にも知られることはなかったのです。

出典元:(海の武士道 育鵬社)
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少し前の話題ですが「リメンバー・ミー」という映画を観ました

もう半年以上更新していないこのブログを、楽しみに毎日チェックしているという話を伺いました。
以前にも他の方から同様のお話を頂いたことがあったのを思い出しました。
最近はずっとフェイスブックに記事を書いていたのですが、そちらは見れない方も多くいらっしゃると思いますので、内容が重複してしまいますがこちらにも記事を挙げてゆこうと思います。

ということで。少し前の話題ですが「リメンバー・ミー」という映画を観ました。

ディズニーアニメで主人公の少年が「死者の国」に迷い込んでしまう話。
「死者の国」ではガイコツ達が楽しく陽気に暮らしているが、生きている家族に忘れられてしまうとその存在は消えてしまう。
だから日本の「お盆」にあたる「死者の日」を大切にするメキシコが舞台。


昭和19年にサイパン玉砕で戦死した大叔父の誕生日は2月29日。
珍しい誕生日のお陰で娘たちが覚えていてくれていて嬉しい。
嫁も誕生日には毎年お供え物を用意してくれる。
戦争が無かったら今は102歳だ。

帽子が斜めの下士官が大叔父だ。
昭和18年の正月に赴任先の香港で撮られたものと勝手に推測する。
唯一笑顔の、そして最後の写真。

私たちは決して忘れない。
だから「あの世」で楽しく生き続けていて欲しいと願う。

三女に付き合って観た「リメンバー・ミー」で、そんな事を思った。


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スリランカ元大統領ジャヤワルダナ氏をご存知でしょうか?

1951年、サンフランシスコ講和会議は連合国側の思惑が錯綜し高額な賠償金やソ連が日本の分割統治を要求するなど、日本に対していかなる制裁措置を取るかで議論は紛糾しました。

そのような中、会議の流れを一変させる演説が行われたのです。
セイロン代表として出席したジャヤワルダナ氏は
「日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感と尊敬を覚えたことを忘れないで欲しい」
と述べ、また、
「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」
という法句経の一節を引用して、
セイロン(現スリランカ)は日本に対する賠償請求を一切放棄する旨の演説を行いました。

これにより、多くのアジア諸国が今までの日本との関わりや恩恵と、また、同じアジア民族である日本が戦ったのはアジア人を搾取した白人国家だったのだと再認識させることでアジアの一体感を呼び覚ましました。
欧米諸国の代表にも、その博愛と寛容の精神は静かな感動を与えました。
この演説は各国の賛同と賞賛を得、これによって日本は国際社会に復帰できる道筋が作られ今日の平和を享受することができたのです。

ジャヤワルダナ氏は、遺言に次のような一文を書き残しています。
「自分はこれからもスリランカと日本という二つの国の行く末を見守りたい。だから、二つの目の角膜の一つをスリランカ人に、もう一つを日本人に移植してほしい」
この遺言どおり、片目の角膜は日本に住む女性に移植されました。

吉田茂元首相曰く
「スリランカへの恩を、日本人は未来永劫伝えなければならい」

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日本郵便社へ意見書を提出しました

弊社は通販事業を営み日本郵便と法人契約を致しております。
日本刀を神奈川県より沖縄へ発送致しました所、航空機に積載できないとの案内を受けました。
調べました所、貴社サイトにて次のような記載を発見致しました。

「鉄砲、刀剣等の「凶器」も航空機による輸送ができません。」

日本刀は航空機に積載できないといことは、社名に「日本」と付く日本屈指の大企業で元公的機関である貴社が「日本刀は凶器」という判断をしたと理解してよろしいでしょうか?
私はこの判断には社会的に大きな問題があると思います。
日本刀は国際郵便では文化財として空輸が可能なのに、国内においては「凶器」として航空機の積載拒否をすることに矛盾を感じませんか?
日本刀は武士の魂、すなわちこれは忘れてはならない日本人の魂であると申し上げても過言ではないと思います。
文化財として審査によって認められ登録を受けた日本人の魂を「凶器」と判断されるのであれば、日本郵便社は社名から「日本」を外して頂きたく存じます。

弊社は、戦争の記憶を未来に伝えることで反戦を訴えると共に、戦後教育によって歪められた日本民族の誇りの再興を企業理念としています。
沖縄の方が戦争資料や日本人のアイデンティティとなる様な品物をご購入されることには特別な意味があると思う分残念です。

夏期休業のお知らせ

勝手ながら8月15日(戦没者を追悼し平和を祈念する日)から17日までの間はお休みを頂きます。
配送日時をご希望の方にはご迷惑をお掛け致しますがご容赦ください。

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「侵略の世界史」を転換させた零戦の真実

アジア諸国の西欧諸国からの独立に零戦が大きな働きをしたという着眼に注目。
太平洋戦争と呼ぶから無謀な負け戦となるが、先の大戦が正しくは大東亜戦争であることを知らない人が多い。
太平洋戦争とはアメリカが日本との戦争に対する呼称であり、それが今も日本の教科書に書かれ続けている。
だから「日本が悪いことをして負けた戦争。今もアジアの一部の国が怒っているけど意味は良くわからない」と言う認識になる。
先の戦争は「世界大戦」であり、日本に文句を言っている国よりも多くの国が日本に感謝していることを知ると共に、教育現場で隠されていることを考えるきっかけとなれば良いと思う。

日本史のテスト(2)

長女の日本史のテストは悲惨だった様子。
問題を見たら
ポーツマツ条約のポーツマツとはどの国の地名か?
とか
岩倉使節団の写真の右から何番目の人の名前を漢字で書け。
とか

暗記力をただ問う内容。
そして外交にも極力触れない。
陸奥宗光はさすがに治外法権で出てきたが、小村寿太郎はかすりもしない。

糞過ぎる。
公立の学校の授業はそこまで戦争を回避したいのか。

どうりで長女が日本史の授業がぜんぜん解らんと言う訳だ。
私との一晩で現在の朝鮮半島問題の考察まで至ったと言うのに…

先生!
写真の前列中央の人は東郷平八郎です。前列右端は秋山真之です。
こんな問題は軍国主義教育だとワイドショーで叩かれちゃいますか?((笑)

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高校の日本史のテスト

長女が前回の日本史が赤点でピンチとの事で泣き付いて来ました。
なぜ数学教師だった私に日本史を問うのかと思ったら範囲が明治で政治の流れがわからないとの事。

なるほど戦争を避けながらの授業では明治の流れは掴めまい。

これは確かに日本戦争資料のプロである私の出番である。

「坂の上の雲」を共に観ながら深夜までノートをまとめ直しました。
長女から「なるほど解ったよ」との言葉が。

「だからお父さんは茶碗一個でご飯と味噌汁を食べるんだね」
「そこかよ!」

楽しく一緒にテスト勉強なんでもう最後かもな。

プロフィール

someyagunsoh

Author:someyagunsoh
代表取締役 染屋雅俊

1965年4月27日生
千葉県佐倉市出身

略歴
陸上自衛隊
慶應義塾大学 文学部
進学塾・予備校教師
私学私塾経営コンサルタント
(東証一部・管理職)
[7Habits]公認講師

大叔父は海軍上等兵曹染屋雄三
横須賀第二陸戦隊所属。
海軍第五根拠地隊司令部付。
昭和19年7月サイパン島にて玉砕。

青春を護国に捧げ独身のまま戦死した子孫のいない大叔父の孫として生きる。

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